高校生物では、アメフラシの慣れや鋭敏化を通して「学習によってシナプスの伝達効率が変化する」ことを学びます。脳の海馬が記憶に重要な役割を果たすことも知っています。しかし、シナプスの強度はどのような分子機構によって変化するのでしょうか。その変化はどうやって長時間保持され、「記憶」になるのでしょうか。
大学の神経科学では、この問いに分子レベルで答えます。鍵を握るのはNMDA受容体という特殊なイオンチャネルです。NMDA受容体は「2つのシグナルが同時に来たとき」にだけ開く同時検出器として働き、ヘブの法則 ──「一緒に発火するニューロンは結びつく」── を分子レベルで実現しています。この記事では、NMDA受容体の同時検出メカニズムから、$\mathrm{Ca}^{2+}$ シグナルによるシナプス増強・抑圧、そして長期記憶の形成に至る分子カスケードを、一本のストーリーとしてたどります。
高校生物では、ニューロン(神経細胞)の軸索末端と次のニューロンの樹状突起の間にあるシナプスを学びます。活動電位が軸索末端に到達すると、シナプス小胞から神経伝達物質(グルタミン酸、アセチルコリンなど)が放出され、シナプス後膜の受容体に結合して興奮を伝えます。この化学的な信号伝達がシナプス伝達です。
エリック・カンデルらが研究したアメフラシ(Aplysia)は、学習の基本原理を解き明かすモデル動物です。水管を弱く刺激するとえらを引っ込めますが、繰り返すと反応しなくなります(慣れ)。一方、尾に強い刺激を与えた後は、水管への弱い刺激にも大きく反応するようになります(鋭敏化)。高校では、慣れはシナプス前終末からの神経伝達物質の放出量が減少すること、鋭敏化はセロトニンを介して放出量が増加することで説明されます。
高校では、大脳辺縁系の海馬が記憶の形成に重要な役割を果たすことを学びます。有名なH.M.(ヘンリー・モレゾン)の症例 ── てんかん治療のために海馬を含む側頭葉内側部を切除された患者が、新しい記憶を形成できなくなった ── は、海馬が記憶に不可欠であることを示しました。
しかし、ここで重要な問いが残ります。アメフラシでは神経伝達物質の「放出量の変化」で学習を説明しましたが、哺乳類の脳ではシナプスの強度変化はどのような分子機構で起こるのでしょうか。そして、一時的な変化がどうやって長期間持続する「記憶」になるのでしょうか。次のセクションで、大学の神経科学がこの問いにどう答えるかを見ていきます。
1949年、心理学者ドナルド・ヘブは「ニューロンAがニューロンBを繰り返し発火させるとき、両者の結合が強化される」という法則を提唱しました(ヘブの法則)。「一緒に発火するニューロンは結びつく」(Cells that fire together wire together)という標語で知られるこの法則は、学習の基本原理として広く受け入れられましたが、その分子機構は長く不明でした。
答えはNMDA受容体にありました。この受容体は、シナプス前ニューロンからのグルタミン酸(化学シグナル)と、シナプス後ニューロンの脱分極(電気シグナル)の両方が同時に存在するときにだけ開き、$\mathrm{Ca}^{2+}$ を流入させます。つまり、2つのニューロンの「同時発火」を分子レベルで検出しているのです。この $\mathrm{Ca}^{2+}$ 流入が、シナプス強度を変化させる分子カスケードの引き金になります。
この記事では、NMDA受容体の同時検出メカニズムから出発して、シナプスが強くなる仕組み(LTP)、弱くなる仕組み(LTD)、そして一時的な変化が長期記憶として定着する仕組み(CREB)までを、一つの分子カスケードとしてたどっていきます。まずは、同時検出器としてのNMDA受容体の分子機構を詳しく見てみましょう。
哺乳類の脳で最も多い興奮性の神経伝達物質はグルタミン酸です。シナプス後膜には、グルタミン酸を受け取る受容体が複数のタイプ存在します。ここでは特に重要な2つを紹介します。
1つ目はAMPA受容体($\alpha$-amino-3-hydroxy-5-methyl-4-isoxazolepropionic acid receptor)です。グルタミン酸が結合すると速やかに開き、主に $\mathrm{Na}^{+}$ を流入させて、シナプス後膜を脱分極させます。通常のシナプス伝達の主役です。
2つ目がNMDA受容体(N-methyl-D-aspartate receptor)です。こちらもグルタミン酸が結合すると開くイオンチャネルですが、AMPA受容体とは決定的に異なる性質を持っています。
NMDA受容体は、静止膜電位(約 $-70 \, \mathrm{mV}$)の状態では、チャネルの孔(ポア)が $\mathrm{Mg}^{2+}$(マグネシウムイオン)によって塞がれています。この現象を$\mathrm{Mg}^{2+}$ ブロック(電位依存性マグネシウムブロック)と呼びます。$\mathrm{Mg}^{2+}$ は細胞外液中に約 $1 \, \mathrm{mM}$ の濃度で存在し、NMDA受容体のチャネル内部に入り込んで通路を物理的に遮断します。
この $\mathrm{Mg}^{2+}$ ブロックは電位依存性です。膜電位が負のとき(静止電位のとき)、正の電荷を持つ $\mathrm{Mg}^{2+}$ はチャネル内に引き込まれ、強固にブロックします。しかし、膜が脱分極すると(膜電位が $-30 \sim -20 \, \mathrm{mV}$ 程度まで上がると)、電気的な力が弱まり $\mathrm{Mg}^{2+}$ がチャネルから押し出されます。
ここが核心です。NMDA受容体が開いてイオンを通すためには、次の2つの条件が同時に満たされる必要があります。
シナプス前ニューロンだけが発火してグルタミン酸を放出しても、シナプス後膜が静止電位のままなら $\mathrm{Mg}^{2+}$ がブロックしていてNMDA受容体は開きません。逆に、シナプス後膜が脱分極していても、グルタミン酸がなければ受容体は活性化しません。両方が同時に存在するときだけ、NMDA受容体は開き、$\mathrm{Ca}^{2+}$ と $\mathrm{Na}^{+}$ をシナプス後細胞内に流入させます。
NMDA受容体の動作は、電子回路のANDゲート(論理積)に例えられます。
| グルタミン酸 | 脱分極 | NMDA受容体 | $\mathrm{Ca}^{2+}$ 流入 |
|---|---|---|---|
| なし | なし | 閉 | なし |
| あり | なし | 閉($\mathrm{Mg}^{2+}$ ブロック) | なし |
| なし | あり | 閉(リガンド不在) | なし |
| あり | あり | 開 | あり |
2つの入力の論理積(AND)を計算する分子デバイスです。ヘブの法則「一緒に発火するニューロンは結びつく」の「同時発火」の検出を、この分子機構が実現しています。
NMDA受容体を通じて流入する $\mathrm{Ca}^{2+}$ は、単なる電荷の担体ではありません。$\mathrm{Ca}^{2+}$ は細胞内でセカンドメッセンジャーとして働き、さまざまなタンパク質の活性を変化させます。通常、細胞内の $\mathrm{Ca}^{2+}$ 濃度はきわめて低く(約 $100 \, \mathrm{nM}$)、細胞外(約 $2 \, \mathrm{mM}$)との間に約2万倍の濃度勾配があります。NMDA受容体が開くと、この濃度勾配に従って $\mathrm{Ca}^{2+}$ がシナプス後細胞内に一気に流入し、局所的な $\mathrm{Ca}^{2+}$ 濃度が急上昇します。
誤:NMDA受容体が通常のシナプス伝達を担い、AMPA受容体が可塑性に関わる
正:通常のシナプス伝達(速い興奮性伝達)の主役はAMPA受容体です。NMDA受容体は通常の伝達ではほとんど寄与せず($\mathrm{Mg}^{2+}$ ブロックのため)、シナプス前後が同時に活動したときにだけ開いて $\mathrm{Ca}^{2+}$ を流入させ、シナプスの可塑性を誘導します。AMPA受容体は「現在のシナプス強度を反映する装置」、NMDA受容体は「シナプス強度を変化させる検出器」と整理できます。
NMDA受容体が同時検出器として $\mathrm{Ca}^{2+}$ シグナルを生み出す仕組みがわかりました。では、この $\mathrm{Ca}^{2+}$ 流入はシナプスの強度をどのように変化させるのでしょうか。次のセクションでは、$\mathrm{Ca}^{2+}$ によって活性化される分子カスケードと、シナプスが「強くなる」メカニズム ── LTP ── を見ていきます。
1973年、ティモシー・ブリスとテリエ・ロモは、ウサギの海馬において画期的な発見をしました。海馬のシナプスに高頻度の電気刺激(テタヌス刺激:例えば100 Hzで1秒間)を与えると、その後のシナプス応答が数時間にわたって増強されたのです。この現象を長期増強(Long-Term Potentiation; LTP)と呼びます。
LTPの誘導にはNMDA受容体が必要です。NMDA受容体の阻害薬(AP5:2-amino-5-phosphonopentanoic acid)を投与すると、テタヌス刺激を与えてもLTPは起こりません。通常のシナプス伝達(AMPA受容体を介する応答)は正常なままです。このことから、LTPの引き金はNMDA受容体を介した $\mathrm{Ca}^{2+}$ 流入であることが確立されました。
NMDA受容体が開くには脱分極が必要です。低頻度の刺激では、AMPA受容体が生み出す脱分極は一過性で、すぐに静止電位に戻ってしまいます。しかし、高頻度の刺激を繰り返し与えると、AMPA受容体による脱分極が時間的に加算(時間的加重)され、シナプス後膜の電位が十分に上昇します。これにより $\mathrm{Mg}^{2+}$ ブロックが外れ、NMDA受容体が開き、$\mathrm{Ca}^{2+}$ が流入します。
NMDA受容体を通じて流入した $\mathrm{Ca}^{2+}$ は、細胞内でカルモジュリン(calmodulin; CaM)というタンパク質と結合します。$\mathrm{Ca}^{2+}$/カルモジュリン複合体は、次にCaMKII($\mathrm{Ca}^{2+}$/calmodulin-dependent protein kinase II; カルシウム/カルモジュリン依存性プロテインキナーゼII)を活性化します。CaMKIIはLTPにおけるもう一つの主役です。
CaMKIIは12個のサブユニットからなるリング状の巨大なタンパク質複合体です。$\mathrm{Ca}^{2+}$/カルモジュリンが結合すると、キナーゼ活性(タンパク質をリン酸化する酵素活性)が活性化されます。活性化されたCaMKIIは、まず隣接するサブユニットのスレオニン286番残基(Thr286)を自己リン酸化します。
この自己リン酸化には極めて重要な意味があります。Thr286がリン酸化されたCaMKIIは、$\mathrm{Ca}^{2+}$/カルモジュリンが解離した後も活性を維持し続けるのです。つまり、一過的な $\mathrm{Ca}^{2+}$ シグナルが、CaMKIIの自己リン酸化という形で「記憶」されます。
Step 1:NMDA受容体から $\mathrm{Ca}^{2+}$ が流入し、カルモジュリンと結合して $\mathrm{Ca}^{2+}$/CaM複合体が形成される。
Step 2:$\mathrm{Ca}^{2+}$/CaMがCaMKIIサブユニットの自己抑制ドメインに結合し、キナーゼ活性を解放する。
Step 3:活性化された隣接サブユニット同士がThr286を相互にリン酸化する(自己リン酸化)。
Step 4:Thr286のリン酸化により、$\mathrm{Ca}^{2+}$/CaMが解離してもCaMKIIは活性状態を維持する(自律活性)。
Step 5:自律活性化したCaMKIIは、ホスファターゼ(脱リン酸化酵素)によってリン酸基が除去されるまで活性を持続する。この間、一過性の $\mathrm{Ca}^{2+}$ シグナルは「持続的なキナーゼ活性」という形で保存される。
活性化されたCaMKIIは、シナプスの強度を増大させるために2つの主要な機構を駆動します。
第一に、AMPA受容体のリン酸化です。CaMKIIは、すでにシナプス後膜に存在するAMPA受容体のGluA1サブユニットのSer831をリン酸化します。これによりAMPA受容体のチャネルコンダクタンス(1つのチャネルが通すイオンの量)が増大し、同じ量のグルタミン酸に対してより大きなシナプス応答が生じます。
第二に、AMPA受容体のシナプスへの挿入です。細胞内のエンドソーム(小胞)に蓄えられていたAMPA受容体が、エキソサイトーシスによってシナプス後膜に運ばれ、組み込まれます。シナプス後膜のAMPA受容体の数が増えるため、シナプス応答がさらに増大します。このAMPA受容体の細胞内輸送をトラフィッキングと呼びます。
LTPとは、本質的には「シナプス後膜のAMPA受容体の数と機能が増大すること」です。同じ量のグルタミン酸が放出されても、受け手(AMPA受容体)が多ければシナプス応答は大きくなります。NMDA受容体は「いつシナプスを強化するか」を決める検出器であり、AMPA受容体は「シナプスの強さそのもの」を担う実行者です。
1つのニューロンには数千ものシナプスがあります。LTPは、テタヌス刺激を受けたシナプスでのみ起こり、隣接するシナプスには波及しません(入力特異性)。これは、NMDA受容体を通じた $\mathrm{Ca}^{2+}$ 流入が個々のシナプスの微小構造(スパイン)内に限局されるためです。直径約1 $\mu$m のスパインは $\mathrm{Ca}^{2+}$ の拡散を物理的に制限する区画として機能し、シナプスごとの独立した強度変化を可能にしています。
ここまでで、NMDA受容体による同時検出 → $\mathrm{Ca}^{2+}$ 流入 → CaMKII活性化 → AMPA受容体の増加、というLTPの分子カスケードが見えてきました。しかし、シナプスは強くなるだけではありません。また、CaMKIIによる変化は数時間程度しか持続しません。次のセクションでは、シナプスが弱くなるメカニズム(LTD)と、長期記憶の形成に必要な遺伝子発現の変化について見ていきます。
学習と記憶にはシナプスの強化だけでなく、不要な結合を弱めることも重要です。シナプス伝達の効率が長期的に低下する現象を長期抑圧(Long-Term Depression; LTD)と呼びます。
興味深いことに、LTDもNMDA受容体と $\mathrm{Ca}^{2+}$ を必要とします。LTPとの違いは、$\mathrm{Ca}^{2+}$ 流入の量と時間パターンにあります。高頻度刺激(100 Hz)が大量かつ急速な $\mathrm{Ca}^{2+}$ 流入を引き起こしてLTPを誘導するのに対し、低頻度刺激(1-5 Hz)は小量で緩やかな $\mathrm{Ca}^{2+}$ 流入をもたらし、LTDを誘導します。
同じ $\mathrm{Ca}^{2+}$ というセカンドメッセンジャーが、なぜ正反対の効果をもたらすのでしょうか。その鍵は、$\mathrm{Ca}^{2+}$ 濃度に対する下流のタンパク質の親和性の違いにあります。
カルシニューリンは $\mathrm{Ca}^{2+}$ に対する親和性がCaMKIIより高いため、低濃度の $\mathrm{Ca}^{2+}$ でも活性化されます。一方、CaMKIIは高濃度の $\mathrm{Ca}^{2+}$ を必要とします。この親和性の差が、$\mathrm{Ca}^{2+}$ 濃度の違いをLTPとLTDという正反対の出力に変換するメカニズムです。
1982年、Bienenstock、Cooper、Munroは、シナプス後ニューロンの活動レベルとシナプス可塑性の関係を理論的に定式化しました(BCM理論)。シナプス後ニューロンの活動 $c$(ここでは $\mathrm{Ca}^{2+}$ 濃度と対応)に対して、修正閾値 $\theta_m$ が存在します。
$$\Delta w = \begin{cases} > 0 & (c > \theta_m) \quad \cdots \text{LTP} \\ < 0 & (0 < c < \theta_m) \quad \cdots \text{LTD} \\ = 0 & (c = 0) \end{cases}$$
$\Delta w$ はシナプス強度の変化量、$c$ はシナプス後活動のレベル($\mathrm{Ca}^{2+}$ 濃度に対応)、$\theta_m$ はLTPとLTDの切り替え閾値です。中程度の活動はLTD、高い活動はLTPを誘導します。$\theta_m$ 自体もシナプス後ニューロンの過去の活動履歴によって変動する(スライディング閾値)点がBCM理論の重要な特徴です。
LTDでは、LTPとは逆の過程が起こります。カルシニューリンによってAMPA受容体のGluA1サブユニットのSer845が脱リン酸化されると、受容体はクラスリン依存性エンドサイトーシスによってシナプス後膜から細胞内に取り込まれます。シナプス後膜のAMPA受容体の数が減少するため、同じ量のグルタミン酸に対するシナプス応答が低下します。
ここまで述べてきたCaMKIIの活性化やAMPA受容体のトラフィッキングは、既存のタンパク質の修飾や移動によって起こるため、新しいタンパク質の合成を必要としません。このメカニズムは数時間程度は持続しますが、それだけでは長期記憶(数日〜数年)を説明できません。
長期記憶の形成には、遺伝子発現の変化と新規タンパク質合成が必要です。これはタンパク質合成阻害剤(アニソマイシンなど)を投与すると、短期的なLTPは起こるが長期的なLTPは阻害されるという実験から確立されました。
その中心的な役割を果たすのがCREB(cAMP response element-binding protein; cAMP応答配列結合タンパク質)という転写因子です。CREBは以下のカスケードで活性化されます。
このように、CREB を介した遺伝子発現の変化が、シナプスの構造的なリモデリング(スパインの拡大や新しいシナプスの形成)を引き起こし、一時的なシナプス強度の変化を構造変化として固定します。これが長期記憶の分子基盤です。
興味深いことに、CREBを介した長期記憶の形成メカニズムは、高校で学んだアメフラシでも同じです。アメフラシの鋭敏化の長期記憶においても、セロトニンがcAMP → PKA → CREBの経路を活性化し、新規タンパク質の合成が必要です。エリック・カンデルはアメフラシの学習の分子機構の解明によって2000年のノーベル生理学・医学賞を受賞しました。哺乳類の海馬のLTPとアメフラシの鋭敏化は、表面上は異なる現象に見えますが、CREBという転写因子を共通のノードとする分子機構でつながっているのです。
以上をまとめると、記憶の分子機構は大きく2つの段階に分けられます。短期的な可塑性(数分〜数時間)は既存のタンパク質のリン酸化とAMPA受容体のトラフィッキングによって維持され、長期記憶(数日〜数年)はCREBを介した遺伝子発現とシナプスの構造的リモデリングによって確立されます。次のセクションでは、これらの知見がどのように応用されているかを見ていきましょう。
2012年、MITの利根川進らのグループは、光遺伝学を用いてマウスの特定の記憶を人工的に活性化することに成功しました。海馬の歯状回で、ある環境を学習したときに活性化されたニューロン群に光感受性のチャネルロドプシンを発現させておき、後から光を当ててそのニューロン群だけを再活性化すると、マウスはその環境での恐怖記憶を思い出す行動を示しました。
この実験は、記憶が特定のニューロン集団(エングラム細胞)のシナプス結合のパターンとして蓄えられていることを直接的に示しました。LTPによるシナプス強化は、まさにこのエングラムを形成するメカニズムに対応すると考えられています。
アルツハイマー病は記憶障害を主症状とする神経変性疾患ですが、その初期段階ではニューロンの細胞死よりも先に、シナプス可塑性の障害が起こることがわかっています。アミロイドベータペプチド($\mathrm{A}\beta$)のオリゴマー(少数の分子が凝集した小集合体)は、NMDA受容体の機能を攪乱し、LTPを阻害する一方でLTDを促進します。その結果、シナプスが脆弱化し、記憶の形成と保持が困難になります。
この知見は、アルツハイマー病の治療戦略にも影響を与えています。ニューロンの細胞死を防ぐだけでなく、シナプス可塑性を正常化する(LTP/LTDのバランスを回復させる)アプローチが模索されています。
ここまでは「高頻度刺激でLTP、低頻度刺激でLTD」という古典的なプロトコルで話を進めましたが、より生理的な条件では、シナプス前後のニューロンの発火タイミングの時間差が可塑性の方向を決めることが1990年代後半に発見されました。
シナプス前ニューロンの発火の直後(数十ミリ秒以内)にシナプス後ニューロンが発火すると(前 → 後の順)、LTPが誘導されます。逆に、シナプス後ニューロンが先に発火し、その直後にシナプス前ニューロンが発火すると(後 → 前の順)、LTDが誘導されます。この現象をスパイクタイミング依存性可塑性(Spike-Timing-Dependent Plasticity; STDP)と呼びます。
STDPは、ヘブの法則をより精密に実現するメカニズムです。「原因(前のニューロン)→ 結果(後のニューロン)」という因果関係のある結合を強化し、逆の順序(因果関係のない結合)を弱めることで、神経回路が環境の因果構造を学習できるようにします。
長期記憶は一度固定されると永久に安定すると長く考えられていましたが、2000年にナデル(Nader)らは衝撃的な発見をしました。ラットに恐怖記憶を想起させた直後にタンパク質合成阻害剤を投与すると、その記憶が消失したのです。これは、記憶は想起されるたびに不安定な状態に戻り(脱固定化)、再びタンパク質合成を経て安定化される(再固定化)必要があることを示しています。再固定化にもNMDA受容体とCREBが関与しており、この過程が記憶の更新や修正を可能にしていると考えられています。
シナプス可塑性の研究は、基礎的な記憶メカニズムの理解にとどまらず、神経疾患の治療や人工知能のアルゴリズム設計にも大きな影響を与え続けています。次のセクションでは、本記事の内容が他の記事とどのようにつながるかを整理します。
シナプス可塑性の分子機構は、膜電位の物理学、シグナル伝達、遺伝子発現制御など、多くのトピックと密接に関連しています。
それでは最後に、本記事の要点をまとめましょう。
Q1. NMDA受容体が「同時検出器」と呼ばれる理由を、$\mathrm{Mg}^{2+}$ ブロックの仕組みを含めて説明してください。
Q2. 同じ $\mathrm{Ca}^{2+}$ シグナルから、LTPとLTDという正反対の結果が生じるのはなぜですか。
Q3. CaMKIIのThr286自己リン酸化が記憶の保持にとって重要である理由を説明してください。
Q4. 短期的な可塑性と長期記憶の分子機構の違いを、タンパク質合成の観点から説明してください。
以下の表を完成させよ。LTPとLTDについて、誘導条件、$\mathrm{Ca}^{2+}$ 流入の特徴、活性化される主要なタンパク質、AMPA受容体への効果をそれぞれ答えよ。
| LTP | LTD | |
|---|---|---|
| 誘導条件 | 高頻度刺激(100 Hz) | 低頻度刺激(1-5 Hz) |
| $\mathrm{Ca}^{2+}$ 流入 | 大量・急速 | 小量・緩徐 |
| 主要タンパク質 | CaMKII(キナーゼ) | カルシニューリン(ホスファターゼ) |
| AMPA受容体への効果 | リン酸化・膜への挿入(数が増加) | 脱リン酸化・エンドサイトーシス(数が減少) |
LTPとLTDは、同じNMDA受容体 → $\mathrm{Ca}^{2+}$ という入力経路を共有しますが、$\mathrm{Ca}^{2+}$ 濃度の違いによって下流で活性化されるタンパク質が異なり、正反対のシナプス強度変化をもたらします。キナーゼ(リン酸化)とホスファターゼ(脱リン酸化)の拮抗が核心です。
NMDA受容体の阻害薬AP5を海馬に投与したラットに、テタヌス刺激を与えた場合、以下のそれぞれはどうなるか予測し、理由を述べよ。(a)通常のシナプス伝達(AMPA受容体を介する応答)、(b)LTPの誘導。
(a)通常のシナプス伝達は正常に起こる。通常の伝達はAMPA受容体が担っており、AP5はNMDA受容体のみを阻害するため、AMPA受容体を介した応答には影響しない。
(b)LTPは誘導されない。LTPの誘導にはNMDA受容体を介した $\mathrm{Ca}^{2+}$ 流入が必要であり、AP5によってNMDA受容体が阻害されると $\mathrm{Ca}^{2+}$ が流入できず、CaMKIIの活性化以降のカスケードが起動しないため。
この実験は実際にブリスとコリングリッジ(1993年)らによって行われ、NMDA受容体がLTPの誘導に必須であることを確立しました。AMPA受容体は「現在のシナプス強度を伝える装置」、NMDA受容体は「シナプス強度を変化させる検出器」という役割分担を理解していれば、この結果を予測できます。
CaMKIIのThr286をアラニン(リン酸化を受けない残基)に置換した変異マウス(T286Aマウス)を作製した。このマウスの海馬切片に高頻度刺激を与えてLTPの誘導を試みた。
(a) T286Aマウスでは、テタヌス刺激直後のシナプス応答の増強は観察されるか。理由を含めて予測せよ。
(b) 増強が観察された場合、その持続時間は野生型マウスと比べてどうなるか。理由を述べよ。
(c) このマウスの行動実験(モリスの水迷路)で、空間記憶の学習にどのような影響が予想されるか。
(a)テタヌス刺激直後の一過性の増強は観察される。高頻度刺激中は持続的な $\mathrm{Ca}^{2+}$ 流入があり、$\mathrm{Ca}^{2+}$/カルモジュリンが直接CaMKIIに結合して酵素を活性化できるため、刺激中および刺激直後にはAMPA受容体のリン酸化が起こり得る。
(b)増強の持続時間は野生型より大幅に短くなる。Thr286がリン酸化されないため、$\mathrm{Ca}^{2+}$/カルモジュリンが解離するとCaMKIIは直ちに不活性化される(自律活性が得られない)。したがって、刺激終了後速やかにキナーゼ活性が失われ、AMPA受容体のリン酸化が維持されなくなる。
(c)空間記憶の学習が障害される。海馬でのLTPの持続が短縮されるため、空間情報を長時間保持できず、モリスの水迷路でプラットフォームの位置を学習する能力が低下する。実際に、T286A変異マウスではLTPの持続時間の短縮と空間学習の障害が報告されている。
この問題は、CaMKIIの自己リン酸化が「一過性の $\mathrm{Ca}^{2+}$ シグナルを持続的なキナーゼ活性に変換する分子スイッチ」として機能することの理解を問うています。Thr286の変異は、一過性の活性化は許容するが持続的な活性化を阻害するため、刺激直後の増強と長期的な増強を解離させます。この結果から、CaMKIIの自律活性がLTPの維持に必要であることがわかります。
タンパク質合成阻害剤アニソマイシンを投与した条件で、海馬のLTPを誘導する実験を行った。
(a) テタヌス刺激から30分後のシナプス応答はどうなるか予測し、理由を述べよ。
(b) テタヌス刺激から24時間後のシナプス応答はどうなるか予測し、理由を述べよ。
(c) (a)と(b)の結果の違いから、LTPの維持メカニズムについてどのような結論が導かれるか。
(a)30分後では増強が維持されている。短期的なLTPはCaMKIIの活性化やAMPA受容体のリン酸化・トラフィッキングなど、既存のタンパク質の修飾によって維持されるため、新規タンパク質合成は不要である。
(b)24時間後では増強が消失し、シナプス応答はベースラインに戻る。長期的なLTPの維持にはCREB → 遺伝子発現 → 新規タンパク質合成 → シナプスの構造的リモデリングが必要であり、アニソマイシンがこの過程を阻害するためである。
(c)LTPには少なくとも2つの段階がある。初期のLTP(early-LTP、数時間以内)はタンパク質合成に依存しない翻訳後修飾で維持されるが、後期のLTP(late-LTP、数時間以降)はタンパク質合成に依存する。これは、短期記憶と長期記憶が分子メカニズムのレベルで質的に異なることを示している。
この実験パラダイムは、LTPの2段階モデル(early-LTPとlate-LTP)を確立した古典的な実験です。early-LTPは既存タンパク質の修飾(リン酸化、トラフィッキング)で維持され、late-LTPはCREBを介した遺伝子発現と新規タンパク質合成に依存します。タンパク質合成阻害剤はlate-LTPのみを阻害するため、LTPの2段階を実験的に解離できます。
BCM理論では、LTPとLTDの切り替え閾値 $\theta_m$ がシナプス後ニューロンの過去の活動履歴によって変動する(スライディング閾値)と仮定する。以下の問いに答えよ。
(a) シナプス後ニューロンが長期間にわたって高頻度で活動した場合、$\theta_m$ はどのように変化すると予想されるか。理由を含めて説明せよ。
(b) スライディング閾値がない場合($\theta_m$ が固定の場合)、シナプス強度にどのような問題が生じうるか。正のフィードバックの観点から説明せよ。
(c) スライディング閾値はこの問題をどのように解決するか。
(a)$\theta_m$ は上昇する。シナプス後ニューロンが高頻度で活動すると、LTPの閾値が上がることで、さらなるLTPが起こりにくくなる。これは、過剰な興奮を抑制するホメオスタティックな調節と考えられる。
(b)$\theta_m$ が固定の場合、正のフィードバックにより不安定になる。LTPによってシナプスが強化されると、シナプス後ニューロンがより強く脱分極するようになり、NMDA受容体が開きやすくなって、さらにLTPが誘導される。この正のフィードバックにより、シナプスは際限なく強化されるか、逆にLTDの場合は際限なく弱化される方向に偏り、シナプス強度が飽和または消失する。
(c)スライディング閾値は、ニューロンの活動レベルが高くなると $\theta_m$ を引き上げ、LTPを起こりにくくする(逆にLTDを起こりやすくする)。活動レベルが低くなると $\theta_m$ を引き下げ、LTPを起こりやすくする。これにより、シナプス強度の暴走を防ぎ、ニューロン全体の平均発火率が適切な範囲に保たれる。つまり、スライディング閾値はシナプスの可塑性と安定性を両立させるための負のフィードバック機構として機能する。
BCM理論のスライディング閾値は、「可塑性のある系をどう安定に保つか」という根本的な問題に対する理論的な解答です。正のフィードバック(LTP → 活動増大 → さらなるLTP)だけでは系が暴走しますが、活動依存的に閾値を調節する負のフィードバックを組み込むことで、学習能力(可塑性)と動作の安定性を両立できます。分子レベルでは、GluA1の Ser845のリン酸化状態の調節やAMPA受容体のサブユニット組成の変化がスライディング閾値の実体の候補として研究されています。