第2章 系統推定と進化理論

進化ゲーム理論
─ ESSが解き明かす行動戦略の進化

動物どうしが食物や縄張りをめぐって争うとき、なぜ本気で殺し合わず、儀式的な威嚇で済ませることが多いのでしょうか。高校生物では「種の保存のため」と説明されることがありますが、自然選択は個体の繁殖成功度に基づいて作用するはずです。この矛盾をどう解決すればよいのでしょうか。

答えは、経済学のゲーム理論を進化生物学に導入することで得られます。1973年にJohn Maynard Smithが提唱した進化ゲーム理論は、個体の行動戦略を「利得(ペイオフ)」で評価し、集団の中でどの戦略が自然選択によって安定に維持されるかを数理的に予測します。この記事では、鷹-鳩ゲームの解析を通じてESS(進化的に安定な戦略)の概念を導入し、さらに囚人のジレンマへと話を広げて「なぜ協力行動が進化しうるのか」という問いに迫ります。

1高校での扱い ── 自然選択と動物の行動

自然選択の基本原理

高校生物では、自然選択は「環境に適した形質を持つ個体がより多くの子孫を残し、その形質が集団中に広まる」しくみとして学びます。自然選択の単位は個体(あるいは遺伝子)であり、個体の繁殖成功度(適応度)を高める形質が選ばれるという考え方です。

動物の行動

高校の生態の単元では、動物の行動として走性、本能行動、学習などを学びます。また、縄張り行動や順位制といった社会的行動にも触れます。闘争行動に関しては、同種個体間の争いが多くの場合「儀式的」であり、深刻な負傷に至らないことが紹介されます。

しかし、高校では「なぜ儀式的な争いで済むのか」についての定量的な説明は扱いません。「種の保存に有利だから」という説明を耳にすることもありますが、これは自然選択の原理と矛盾します。自然選択が個体レベルで作用するなら、相手を倒して資源を独占するほうが有利なはずだからです。次のセクションで、この疑問をゲーム理論の枠組みで解決します。

2大学の視点 ── 個体の利益からゲーム理論へ

高校 vs 大学:動物の闘争行動の説明
高校:闘争行動は儀式的であることが多い(定性的な記述)
大学:ペイオフ行列とESSの数理により、どのような行動パターンが安定かを予測する
高校:自然選択は個体の適応度に基づく(定性的理解)
大学:適応度を「ペイオフ」として定量化し、戦略の頻度依存的な選択を解析する
高校:協力行動の進化は扱わない
大学:繰り返しゲームと「しっぺ返し」戦略で協力の進化を説明する
ここが本質 ── 行動の進化は「ゲーム」である

動物の行動の適応度は、相手がどんな行動をとるかに依存します。腕力で勝る個体でも、全員が「殺し合い」を選ぶ集団では負傷のコストが大きすぎて、かえって適応度が下がります。つまり、ある行動が有利かどうかは集団内で他の個体がどの戦略をとっているかによって変わるのです。

この「頻度依存的」な状況を解析するのがゲーム理論であり、集団に侵入できない安定な戦略をESS(Evolutionarily Stable Strategy:進化的に安定な戦略)と呼びます。ESSの概念を使えば、「なぜ動物は儀式的に争うのか」「なぜ協力が進化しうるのか」という問いに数理的に答えることができます。

では、この考え方を最も明快に示す例として、鷹-鳩ゲーム(Hawk-Dove game)を見ていきましょう。

3鷹-鳩ゲームとペイオフ行列

ゲームの設定

2個体が食物や縄張りといった価値 $V$ の資源をめぐって争う状況を考えます。各個体は以下の2つの戦略のいずれかをとります。

  • 鷹(Hawk)戦略:相手が引き下がるか負傷するまで闘う。攻撃的な戦略。
  • 鳩(Dove)戦略:威嚇のみで争い、相手が攻撃してきたら逃げる。平和的な戦略。

ここで重要な仮定があります。鷹どうしが対戦すると本気の闘争になり、負けた側は $C$ のコスト(負傷)を受けます。勝敗は五分五分(確率 $1/2$)とします。資源の価値 $V$ と闘争のコスト $C$ の大小関係が、結果を大きく左右します。

ペイオフの計算

対戦の組み合わせごとに、各個体が得るペイオフ(適応度への寄与)を計算しましょう。ペイオフとは、その対戦から得られる利得を数値化したもので、適応度に換算できると考えます。

鷹 vs 鷹:勝率 $1/2$ で資源 $V$ を得るか、確率 $1/2$ でコスト $C$ を被ります。平均ペイオフは $(V - C)/2$ です。

鷹 vs 鳩:鳩は逃げるので、鷹は資源 $V$ を独占します。鷹のペイオフは $V$、鳩のペイオフは $0$ です。

鳩 vs 鳩:威嚇の応酬の末、どちらかが引き下がります。平均的に資源を半分ずつ得ると考え、ペイオフは $V/2$ です。

ペイオフ行列

以上を行列にまとめます。行が自分の戦略、列が相手の戦略、セルの値は自分のペイオフです。

相手:鷹 相手:鳩
自分:鷹 $(V - C)/2$ $V$
自分:鳩 $0$ $V/2$

このペイオフ行列(payoff matrix)が進化ゲーム理論の出発点です。行列の数値を見るだけで、いくつかの重要なことがわかります。鳩だらけの集団では鷹が有利($V > V/2$)ですが、鷹だらけの集団では $C > V$ のとき鷹のペイオフ $(V - C)/2$ が負になり、鳩のペイオフ $0$ のほうがましです。つまり、どちらの戦略が有利かは集団の構成に依存します。この頻度依存性こそがゲーム理論を必要とする理由です。

次のセクションでは、この行列を使って「集団はどの状態に落ち着くか」を数学的に予測するための概念、ESSを導入します。

4ESS(進化的に安定な戦略)の定義と解析

ESSとは何か

ある集団のほぼ全員が戦略 $I$ をとっているとき、少数の「突然変異体」が別の戦略 $J$ を持ち込んでも集団に広まれないなら、戦略 $I$ を進化的に安定な戦略(ESS)と呼びます。1973年にJohn Maynard SmithとGeorge R. Priceが提唱したこの概念は、自然選択の結果として安定に維持される行動パターンを数理的に特定する道具です。

ESSの数学的条件

戦略 $I$ がESSであるための条件は、任意の代替戦略 $J \neq I$ に対して次のいずれかが成り立つことです。

$$E(I, I) > E(J, I)$$

あるいは

$$E(I, I) = E(J, I) \quad \text{かつ} \quad E(I, J) > E(J, J)$$

$E(X, Y)$ は、相手が戦略 $Y$ をとっているときに戦略 $X$ をとる個体のペイオフです。第1条件は「$I$ ばかりの集団では $I$ が $J$ より有利」であること。第2条件は「$I$ と $J$ のペイオフが同等の場合、$J$ 同士の対戦では $I$ のほうが有利」であること(侵入した $J$ が増えても、$I$ が巻き返す)を意味します。

鷹-鳩ゲームのESS解析

先ほどのペイオフ行列を使って、鷹と鳩がそれぞれESSになるかを調べましょう。

「鷹」はESSか? 鷹ばかりの集団に鳩が侵入する場合を考えます。$E(\text{鷹}, \text{鷹}) = (V - C)/2$ と $E(\text{鳩}, \text{鷹}) = 0$ を比較します。$V > C$ ならば $(V - C)/2 > 0$ なので、鷹がESSです。しかし $V < C$(闘争コストが資源の価値を上回る)ならば $(V - C)/2 < 0 < E(\text{鳩}, \text{鷹})$ となり、鷹はESSではありません。

「鳩」はESSか? 鳩ばかりの集団に鷹が侵入する場合を考えます。$E(\text{鳩}, \text{鳩}) = V/2$ と $E(\text{鷹}, \text{鳩}) = V$ を比較すると、常に $V > V/2$ です。鳩ばかりの集団には鷹が必ず侵入できるので、鳩は決してESSになりません。

「鳩が平和だから安定」は誤り

誤:全員が鳩なら争いがないので安定である

正:鳩だけの集団は、鷹の突然変異体が現れた瞬間に崩壊する。鷹は鳩から資源を無傷で奪えるため(ペイオフ $V > V/2$)、鳩集団は進化的に不安定。「平和的 = 安定」ではないところが自然選択の厳しさです。

$V < C$ の場合:混合戦略のESS

$V < C$ のとき、鷹も鳩も純粋戦略としてはESSになりません。このとき安定になるのは、集団内に鷹と鳩が一定の割合で共存する混合戦略です。

混合戦略の均衡を求めるには、鷹の頻度を $p$、鳩の頻度を $1 - p$ として、鷹と鳩の平均ペイオフが等しくなる $p$ を見つけます。

混合ESSの導出

Step 1:鷹をとる個体の平均ペイオフ $W_H$ を計算する。相手が確率 $p$ で鷹、確率 $1 - p$ で鳩なので、

$$W_H = p \cdot \frac{V - C}{2} + (1 - p) \cdot V$$

Step 2:鳩をとる個体の平均ペイオフ $W_D$ を計算する。

$$W_D = p \cdot 0 + (1 - p) \cdot \frac{V}{2} = (1 - p) \cdot \frac{V}{2}$$

Step 3:均衡条件 $W_H = W_D$ を解く。

$$p \cdot \frac{V - C}{2} + (1 - p) \cdot V = (1 - p) \cdot \frac{V}{2}$$

左辺を展開すると、

$$\frac{p(V - C)}{2} + V - pV = \frac{V}{2} - \frac{pV}{2}$$

$$\frac{pV - pC}{2} + V - pV = \frac{V}{2} - \frac{pV}{2}$$

両辺を2倍して整理すると、

$$pV - pC + 2V - 2pV = V - pV$$

$$-pC + 2V - pV = V$$

$$V = p(C + V) - pV + pV = pC + pV$$

改めて整理すると、$2V - pV - pC = V$ より $V = pV + pC = p(V + C)$ なので、

$$p^* = \frac{V}{V + C}$$

ただし、もう少し直接的に導出しましょう。$W_H = W_D$ より、

$$p \cdot \frac{V-C}{2} + (1-p) \cdot V = (1-p) \cdot \frac{V}{2}$$

右辺を左辺に移項すると、

$$p \cdot \frac{V-C}{2} + (1-p) \cdot \frac{V}{2} = 0$$

$$\frac{p(V-C) + (1-p)V}{2} = 0$$

$$pV - pC + V - pV = 0$$

$$V - pC = 0$$

$$p^* = \frac{V}{C}$$

鷹-鳩ゲームの混合ESS

$V < C$ のとき、ESSにおける鷹の頻度は

$$p^* = \frac{V}{C}$$

$V$ は資源の価値、$C$ は闘争のコストです。$V/C$ が小さいほど(闘争コストが大きいほど)鷹の割合は低くなります。$V \geq C$ のときは $p^* = 1$(鷹が純粋ESS)です。この式は「各個体が確率 $V/C$ で鷹を演じる」混合戦略とも、「集団中の鷹の割合が $V/C$ に落ち着く」多型とも解釈できます。

この結果は深い洞察を含んでいます。闘争のコスト $C$ が資源の価値 $V$ に比べて大きいとき、集団は攻撃的な鷹と平和的な鳩が共存する状態に落ち着きます。これが「なぜ動物は殺し合わないのか」に対する進化ゲーム理論の答えです。殺し合い(鷹戦略)のコストが大きいほど、穏やかな行動(鳩戦略)をとる個体が増えます。この均衡は「種のため」ではなく、個体の利益の帰結として自然に生まれるのです。

ここまでで、2つの戦略からなる単純なゲームをESSの枠組みで解析できるようになりました。次のセクションでは、ゲーム理論のもう一つの古典的問題「囚人のジレンマ」を取り上げ、利己的な個体からなる集団で「なぜ協力が進化しうるのか」という難問に挑みます。

5囚人のジレンマと協力の進化

囚人のジレンマとは

囚人のジレンマ(Prisoner's Dilemma)は、ゲーム理論で最も有名な問題の一つです。2個体が「協力(C)」か「裏切り(D)」を選ぶ状況を考えます。

相手:協力 相手:裏切り
自分:協力 $R$(相互協力の報酬) $S$(お人好しの損)
自分:裏切り $T$(裏切りの誘惑) $P$(相互裏切りの罰)

囚人のジレンマの条件は $T > R > P > S$ です。相手が何を選ぼうと、自分は裏切ったほうがペイオフが高くなります(相手が協力なら $T > R$、相手が裏切りなら $P > S$)。したがって、合理的な個体は必ず裏切りを選びます。しかし、両者が裏切ると $(P, P)$ となり、両者が協力した場合の $(R, R)$ より悪い結果に陥ります。これがジレンマです。

生物学的な例を考えましょう。魚のグッピーでは、天敵が近づくと「偵察個体」が前方に泳ぎ出して捕食者を確認します。偵察は集団にとって有益(協力)ですが、偵察した個体自身は捕食されるリスクを負います。全員が偵察を「裏切る」(行かない)と、誰も捕食者を確認できず全員が不利益を被ります。

一回限りのゲームでは裏切りが支配する

一回限りの囚人のジレンマでは、裏切り(D)が支配戦略(相手の戦略にかかわらず最も有利な戦略)です。ESS解析でも、$E(D, D) = P > S = E(C, D)$ なので、裏切りがESSとなります。つまり、一回限りの出会いでは協力は進化しません。

繰り返しゲームと「しっぺ返し」戦略

しかし、同じ個体と何度も出会う状況ではどうでしょうか。1984年、政治学者Robert Axelrodはコンピュータ上で「繰り返し囚人のジレンマ」のトーナメントを開催し、様々な戦略を競わせました。その結果、最も成績がよかったのは、数学者Anatol Rapoportが提出した極めて単純な戦略 ── しっぺ返し(Tit-for-Tat, TFT)でした。

しっぺ返し戦略のルールはたった2つです。

  1. 最初は協力する。
  2. 2回目以降は、前回の相手の行動をそのまま返す(相手が協力したら協力、裏切ったら裏切り)。

なぜこの単純な戦略が強いのでしょうか。Axelrodは成功する戦略に共通する4つの性質を見出しました。

  • 善良性(Nice):自分から先に裏切らない。
  • 報復性(Retaliatory):裏切られたらすぐに裏切り返す。搾取されない。
  • 寛容性(Forgiving):相手が協力に戻れば、自分も協力に戻る。報復が永続しない。
  • 単純性(Clear):戦略が単純で相手に理解されやすい。
Axelrodのトーナメント

Axelrodは世界中のゲーム理論研究者から戦略プログラムを募集し、総当たりの繰り返し囚人のジレンマを実施しました。第1回(1980年)には14の戦略が、第2回(1981年)には62の戦略が参加しましたが、いずれもTFTが優勝しました。興味深いのは、TFTは個々の対戦で相手に「勝つ」ことが決してないにもかかわらず、総合スコアで最高成績を収めたことです。協力型の相手とは互いに高得点を稼ぎ、裏切り型の相手には搾取されずに済むためです。

繰り返しの条件:影の未来

しっぺ返し戦略が有効であるためには、重要な条件があります。同じ相手と再び出会う確率 $w$(割引因子)が十分に大きくなければなりません。次の出会いがある(「影の未来」が長い)からこそ、目先の裏切りの利益を放棄して長期的な協力関係を維持する価値があるのです。

TFTが裏切り専門戦略(Always Defect)に対抗できる条件を求めましょう。TFT同士が対戦すると、毎回協力するので、$n$ 回のゲームの合計ペイオフは $R + wR + w^2R + \cdots = R/(1 - w)$ です。一方、裏切り専門がTFTと対戦すると、初回に $T$ を得ますが2回目以降は相互裏切り($P$)になるので、合計は $T + wP + w^2P + \cdots = T + wP/(1 - w)$ です。TFTがESSとして安定であるためには、

$$\frac{R}{1 - w} > T + \frac{wP}{1 - w}$$

これを $w$ について解くと、

$$w > \frac{T - R}{T - P}$$

つまり、将来の出会いの確率が $(T - R)/(T - P)$ を超えるとき、しっぺ返し戦略は裏切り専門に対して進化的に安定です。$T - R$ は「裏切りの一時的な利益」、$T - P$ は「裏切りによる長期的な損失の基準」と解釈できます。

「協力は常に進化する」わけではない

誤:繰り返しゲームなら協力は必ず進化する

正:協力が安定になるには、再会確率 $w$ が閾値 $(T - R)/(T - P)$ を超える必要がある。一回限りの出会いや、相手を二度と認識できない大集団では、裏切りが支配的となる。協力の進化には「同じ相手と繰り返し出会う」という生態学的条件が不可欠。

ここまでで、鷹-鳩ゲームとしっぺ返し戦略という2つのモデルを通じて、進化ゲーム理論の基本的な枠組みを学びました。次のセクションでは、これらの理論が実際の動物の行動をどのように説明するかを見ていきます。

6応用・発展 ── ESSの生物学的実例

フンコロガシの代替戦略

フンコロガシ(糞虫)の雄には、大きな角を持って雌をめぐって闘う「闘士型」と、角を持たず闘いを避けて交尾の機会をうかがう「スニーカー型」が存在します。これは鷹-鳩ゲームの混合ESSの実例として解釈できます。闘士型(鷹)ばかりなら闘争コストが大きく、スニーカー型(鳩)が有利になります。逆にスニーカーばかりなら、闘って資源を独占する闘士型が有利です。結果として、両方の表現型が集団中に安定な頻度で共存します。

コモンサイドブロッチトカゲの3戦略ゲーム

カリフォルニアに生息するコモンサイドブロッチトカゲ(Uta stansburiana)の雄は、のど元の色によって3つの戦略型に分かれます。

  • オレンジ:攻撃的で広い縄張りを持ち、複数の雌を囲い込む(鷹型)。
  • :中程度の縄張りを持ち、1匹の雌をしっかり守る(ガード型)。
  • 黄色:雌に擬態して他の雄の縄張りに忍び込み、こっそり交尾する(スニーカー型)。

この3者の関係は、じゃんけんのような巡回的な優劣を示します。オレンジは青に勝ち(力で縄張りを奪う)、青は黄色に勝ち(しっかりガードするので忍び込めない)、黄色はオレンジに勝ちます(広すぎる縄張りは隙があり侵入しやすい)。実際に野外観察でも、年ごとに優勢な色が入れ替わることが報告されています。これは2戦略の鷹-鳩ゲームを超えた、より複雑なゲーム理論の実例です。

吸血コウモリの互恵的利他行動

吸血コウモリ(Desmodus rotundus)は、狩りに失敗した仲間に血液を口移しで分け与えます。血を分けてもらった個体は、将来相手が失敗したときにお返しをします。これは繰り返し囚人のジレンマにおけるしっぺ返し戦略の実例です。Gerald Wilkinsonの研究(1984年)により、コウモリは過去に血をくれた相手を優先的に助け、くれなかった相手には与えないことが示されました。つまり、コウモリは「前回の相手の行動を記憶して返す」という条件付き戦略を実行しているのです。

この互恵的利他行動が成立する条件は、しっぺ返しの理論と一致します。吸血コウモリは同じ洞窟の小集団で長期間共棲するため、再会確率 $w$ が十分に高く、個体識別能力も優れています。

ESSと自然選択の関係

ESSは、自然選択が行きつく安定状態を予測する概念です。しかし、ESSは必ずしも「最も効率的な」結果をもたらすわけではありません。鷹-鳩ゲームの混合ESSでは、全員が鳩なら誰も負傷しない(社会全体のペイオフが最大)のに、鷹が一定割合で存在してしまいます。これは、個体の利益に基づく自然選択が必ずしも集団にとって最適な結果を生まないことを示す重要な例です。進化ゲーム理論は、集団選択論を否定し、個体(あるいは遺伝子)レベルの選択から行動の進化を説明する枠組みを完成させました。

進化ゲーム理論は、動物の行動だけでなく、細菌の毒素産生、植物の競争戦略、さらには免疫系と病原体の軍拡競争まで、生物学の広い範囲に応用されています。次のセクションでは、本記事の内容が他のトピックとどのようにつながるかを整理します。

7つながりマップ

進化ゲーム理論は、集団遺伝学と行動生態学の結節点に位置します。以下のトピックと密接に関連しています。

  • B-1-1 集団遺伝学の数理:ESSは集団中の戦略(対立遺伝子)の頻度変動を扱う点で、集団遺伝学の頻度依存選択と深く関連します。選択係数 $s$ が一定でない場合(頻度依存選択)の数理的処理は、集団遺伝学で学んだ枠組みの拡張です。
  • B-16-1 ハミルトンの法則:しっぺ返し戦略は非血縁者間の協力を説明しますが、血縁者間の利他行動はハミルトンの法則 $rB > C$ で説明されます。進化ゲーム理論と包括適応度理論は、協力の進化を異なる角度から照らす相補的な理論体系です。
  • B-16-2 最適採餌理論:最適採餌理論は個体の行動を最適化問題として扱いますが、他個体との相互作用がある場合にはゲーム理論的な解析が必要になります。ESSは「他の個体の行動を所与とした最適応答」の均衡点です。

それでは最後に、本記事の要点をまとめましょう。

Sまとめ
  • 動物の行動戦略の有利・不利は、集団内で他の個体がどの戦略をとるかに依存する(頻度依存選択)。この状況を解析するのが進化ゲーム理論であり、ペイオフ行列を用いて戦略の適応度を定量化する。
  • ESS(進化的に安定な戦略)とは、集団のほぼ全員が採用しているとき、少数の突然変異体(代替戦略)が侵入できない戦略である。数学的には $E(I, I) > E(J, I)$、または $E(I, I) = E(J, I)$ かつ $E(I, J) > E(J, J)$ がESSの条件である。
  • 鷹-鳩ゲームでは、闘争コスト $C$ が資源価値 $V$ を上回るとき、鷹も鳩も純粋ESSにならず、鷹の頻度 $p^* = V/C$ の混合ESSが安定となる。これが「なぜ動物は殺し合わないか」への数理的な回答である。
  • 一回限りの囚人のジレンマでは裏切りが支配戦略だが、繰り返しゲームでは「しっぺ返し(TFT)」戦略が安定になりうる。その条件は再会確率 $w > (T - R)/(T - P)$ である。
  • ESSは「種のため」の行動ではなく、個体レベルの自然選択の帰結として安定に維持される行動パターンであり、集団選択論に代わる個体選択の枠組みを完成させた。

9確認テスト

理解度チェック

Q1. ESS(進化的に安定な戦略)の定義を、「侵入」という言葉を使って簡潔に述べてください。

クリックして解答を表示 ESSとは、集団のほぼ全員が採用しているとき、少数の代替戦略(突然変異体)が集団に侵入して広まることができない戦略です。数学的には、ESS戦略 $I$ に対して任意の代替戦略 $J$ について $E(I, I) > E(J, I)$、または $E(I, I) = E(J, I)$ かつ $E(I, J) > E(J, J)$ が成り立ちます。

Q2. 鷹-鳩ゲームにおいて、鳩が決してESSになれない理由を、ペイオフの値を用いて説明してください。

クリックして解答を表示 鳩ばかりの集団に鷹が侵入する場合、$E(\text{鷹}, \text{鳩}) = V > V/2 = E(\text{鳩}, \text{鳩})$ が常に成り立つためです。つまり鳩の集団では鷹のほうが高いペイオフを得るので、鷹は必ず侵入に成功します。ESSの第1条件 $E(I, I) > E(J, I)$ が $V/2 < V$ のため成立しません。

Q3. しっぺ返し(TFT)戦略のルールを2つ述べてください。また、TFTが持つ「善良性」と「報復性」はそれぞれどのルールに対応しますか。

クリックして解答を表示 TFTのルール:(1) 最初は協力する、(2) 2回目以降は前回の相手の行動をそのまま返す。「善良性」は(1)に対応し、自分から先に裏切らないことです。「報復性」は(2)のうち「相手が裏切ったら自分も裏切る」部分に対応し、搾取を許さないことです。

Q4. 繰り返し囚人のジレンマにおいて、しっぺ返し戦略が安定になるための再会確率 $w$ の条件を述べ、この条件が満たされにくい生態学的状況を1つ挙げてください。

クリックして解答を表示 条件は $w > (T - R)/(T - P)$ です。この条件が満たされにくい状況の例としては、海洋の浮遊性プランクトンのように、個体が広大な環境中に分散しており同じ相手と再び出会う確率がほぼゼロの場合が挙げられます。また、個体識別ができない生物(多くの昆虫など)も、過去の相手の行動を記憶に基づいて返すことができないため、条件を満たしにくいです。

10演習問題

問1 A 計算

鷹-鳩ゲームにおいて、資源の価値 $V = 40$、闘争のコスト $C = 100$ とする。

(a) ペイオフ行列の各セルの値を具体的な数値で記入せよ。

(b) ESSにおける鷹の頻度 $p^*$ を求めよ。

クリックして解答を表示
解答

(a) 鷹 vs 鷹:$(40 - 100)/2 = -30$、鷹 vs 鳩:$40$、鳩 vs 鷹:$0$、鳩 vs 鳩:$40/2 = 20$。

(b) $V < C$ なので混合ESSとなる。$p^* = V/C = 40/100 = 0.4$。集団の40%が鷹、60%が鳩となる。

解説

鷹同士の対戦ペイオフが $-30$ と負になっていることに注意してください。闘争コストが資源価値を大きく上回るため、鷹だらけの集団は各個体にとって非常に不利です。均衡では鷹は40%にとどまり、過半数は鳩戦略をとります。

問2 A 概念

以下の記述のうち、進化ゲーム理論の観点から正しいものをすべて選べ。

(a) 鳩だけの集団は、争いがないため進化的に安定である。

(b) 鷹がESSとなるのは $V \geq C$ のときである。

(c) 混合ESSでは、鷹と鳩の平均ペイオフが等しい。

(d) ESSは常に集団全体のペイオフの合計を最大にする戦略である。

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解答

正しいのは (b)(c)

解説

(a) 誤り。鳩だけの集団には鷹が侵入できる($V > V/2$)ため不安定です。

(b) 正しい。$V \geq C$ なら $(V-C)/2 \geq 0 = E(\text{鳩}, \text{鷹})$ なので鷹がESSです。

(c) 正しい。混合ESSの均衡条件は $W_H = W_D$(両戦略のペイオフが等しい)です。

(d) 誤り。ESSは個体の利益に基づく安定状態であり、集団全体の効率を最大化するとは限りません。鷹-鳩ゲームでは全員鳩のほうが集団全体のペイオフは高いですが、ESSではありません。

問3 B 論述

繰り返し囚人のジレンマにおいて、ペイオフが $T = 5$, $R = 3$, $P = 1$, $S = 0$ とする。

(a) しっぺ返し戦略(TFT)が「常に裏切り」戦略に対して安定であるための再会確率 $w$ の条件を求めよ。

(b) $w = 0.6$ のとき、TFT同士の対戦と「常に裏切り」同士の対戦の合計ペイオフをそれぞれ求め、比較せよ。

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解答

(a) $w > (T - R)/(T - P) = (5 - 3)/(5 - 1) = 2/4 = 0.5$。再会確率が $0.5$ より大きければTFTは安定です。

(b) TFT同士:毎回協力するので $R/(1-w) = 3/(1-0.6) = 3/0.4 = 7.5$。

「常に裏切り」同士:毎回裏切るので $P/(1-w) = 1/(1-0.6) = 1/0.4 = 2.5$。

TFT同士のほうが合計ペイオフが $7.5/2.5 = 3$ 倍高くなります。

解説

(a) の条件 $w > 0.5$ は、この数値例では「次の出会いが半分以上の確率である」ことを意味します。(b) ではTFT同士の協力関係が、相互裏切りの3倍のペイオフを生んでいます。しっぺ返し戦略は「目先の裏切りの利益」を捨てる代わりに、長期的な協力の利益を確保する戦略なのです。

問4 B 導出

鷹-鳩ゲームの混合ESSにおいて、均衡時の集団全体の平均ペイオフ $\bar{W}$ を $V$ と $C$ で表せ。また、全員が鳩の場合の平均ペイオフと比較し、ESSが「集団にとって最適」でないことを示せ。

クリックして解答を表示
解答

混合ESSでは $p^* = V/C$ で、鷹と鳩のペイオフは等しい。その共通の値を $W_H = W_D$ から求める。

$$W_D = (1 - p^*) \cdot \frac{V}{2} = \left(1 - \frac{V}{C}\right) \cdot \frac{V}{2} = \frac{V(C - V)}{2C}$$

したがって $\bar{W} = V(C - V)/(2C)$。

全員が鳩の場合は $\bar{W}_{\text{all dove}} = V/2$。

$V(C-V)/(2C)$ と $V/2$ を比較すると、$V(C-V)/(2C) = V/2 - V^2/(2C) < V/2$($V > 0$ のとき)。

よって、ESSにおける平均ペイオフは全員鳩の場合より低く、ESSは集団にとって最適ではない。

解説

この差 $V^2/(2C)$ は、鷹同士の闘争による「社会的コスト」と解釈できます。個体レベルの自然選択は、集団全体の利益を最大化するわけではありません。各個体が自分の利益を追求した結果、集団全体としては最適でない状態に落ち着くことがあります。これは経済学の「個人の合理性が社会的最適を保証しない」という知見と同じ構造です。

問5 C 発展

鷹-鳩ゲームに第3の戦略「ブルジョア(Bourgeois)」を導入する。ブルジョア戦略は「自分が先にその資源にいた(所有者)ならば鷹として振る舞い、後から来た(侵入者)ならば鳩として振る舞う」という条件付き戦略である。所有者である確率はすべての個体について $1/2$ とする。

(a) ブルジョア vs ブルジョアの対戦のペイオフを求めよ。(ヒント:一方が所有者なら他方は侵入者である。)

(b) ブルジョア vs 鷹、ブルジョア vs 鳩のペイオフをそれぞれ求めよ。

(c) $V < C$ のとき、ブルジョアがESSになることを示せ。(ヒント:鷹と鳩の両方がブルジョア集団に侵入できないことを確認すればよい。)

クリックして解答を表示
解答

(a) ブルジョア同士では、所有者が鷹・侵入者が鳩として振る舞う。所有者はコストなく資源を得て $V$、侵入者は逃げて $0$。自分が所有者である確率が $1/2$ なので、

$$E(B, B) = \frac{1}{2} \cdot V + \frac{1}{2} \cdot 0 = \frac{V}{2}$$

(b) ブルジョア vs 鷹:自分が所有者(確率 $1/2$)のとき鷹 vs 鷹で $(V-C)/2$、侵入者(確率 $1/2$)のとき鳩 vs 鷹で $0$。

$$E(B, H) = \frac{1}{2} \cdot \frac{V-C}{2} + \frac{1}{2} \cdot 0 = \frac{V-C}{4}$$

ブルジョア vs 鳩:所有者のとき鷹 vs 鳩で $V$、侵入者のとき鳩 vs 鳩で $V/2$。

$$E(B, D) = \frac{1}{2} \cdot V + \frac{1}{2} \cdot \frac{V}{2} = \frac{3V}{4}$$

(c) ブルジョア集団に鷹が侵入:$E(B, B) = V/2$ と $E(H, B) = ?$ を比較。鷹 vs ブルジョア:相手が所有者(鷹として振る舞う)のとき鷹 vs 鷹で $(V-C)/2$、相手が侵入者(鳩として振る舞う)のとき鷹 vs 鳩で $V$。

$$E(H, B) = \frac{1}{2} \cdot \frac{V-C}{2} + \frac{1}{2} \cdot V = \frac{V-C}{4} + \frac{V}{2} = \frac{3V - C}{4}$$

$E(B, B) > E(H, B)$ となる条件:$V/2 > (3V - C)/4$、つまり $2V > 3V - C$、$C > V$。$V < C$ のとき成立。

ブルジョア集団に鳩が侵入:$E(D, B) = ?$。鳩 vs ブルジョア:相手が所有者(鷹)のとき $0$、相手が侵入者(鳩)のとき $V/2$。

$$E(D, B) = \frac{1}{2} \cdot 0 + \frac{1}{2} \cdot \frac{V}{2} = \frac{V}{4}$$

$E(B, B) = V/2 > V/4 = E(D, B)$。常に成立。

したがって $V < C$ のとき、鷹も鳩もブルジョア集団に侵入できず、ブルジョアはESSである。

解説

ブルジョア戦略は「所有権の尊重」という条件付き行動です。この戦略がESSになるという結果は、多くの動物で観察される「先住者優位」(prior residency effect)の進化的説明を与えます。闘争コストが大きい状況では、「先にいたほうが勝つ」という単純なルールが安定になり、実際の闘争を避けることができるのです。混合ESSと比べて、ブルジョアESSでは闘争が起こらないため、集団全体の平均ペイオフ $V/2$ は全員鳩と同じ最大値になります。条件付き戦略の導入が社会的コストを完全に排除している点は注目に値します。