アドレナリン1分子が副腎から血中に放出されると、肝臓の細胞は数百万分子ものグルコースを血中に放出します。高校生物では「ホルモンが受容体に結合し、細胞内で情報が伝達される」と学びますが、なぜたった1分子のシグナルが細胞全体の大規模な応答を引き起こせるのでしょうか。
その答えはカスケードによる信号増幅にあります。そして増幅だけでなく、細胞はフィードバック回路を使って「オン/オフのスイッチ」や「周期的な振動」まで実現しています。この記事では、シグナル伝達を「回路設計」の視点から数理的に理解していきます。1分子のホルモンから細胞全体の応答までの論理を、増幅率の計算、双安定性の条件、振動の発生原理という3つの柱で解き明かします。
高校生物で学ぶシグナル伝達の知識を整理しましょう。生物基礎では、内分泌系のホルモンが血液を介して標的細胞に運ばれ、受容体に結合することで細胞に情報が伝わると学びます。たとえば、インスリンは膜上の受容体に結合し、グルコーストランスポーターの細胞膜への移動を促して血糖値を下げます。
また、フィードバック調節も高校の重要な概念です。血糖値が上がるとインスリンが分泌され、血糖値が下がるとインスリン分泌が抑制される ── これは負のフィードバックの典型例です。体温調節、甲状腺ホルモンの分泌調節(視床下部-下垂体-甲状腺軸)なども同様の仕組みです。
高校では「ホルモンが受容体に結合すると情報が伝わる」と学びますが、そこから先の定量的な問いには答えられません。なぜ1分子のホルモンで数百万分子規模の応答が起きるのか。なぜ細胞の応答は「中途半端」にならず、きっぱりオンかオフになることが多いのか。なぜ生体リズムのような周期的な振動が生じるのか。次のセクションで、大学の視点がこれらの問いにどう答えるかを見ていきましょう。
シグナル伝達系は、3つの基本的な設計原理で理解できます。(1) カスケードによる増幅:各段階で活性化分子が増えることで、弱い信号を強い応答に変換する。(2) 正のフィードバックによるスイッチ:出力が入力を強化するループにより、細胞は「オン」か「オフ」かの二択を迫られる(双安定性)。(3) 負のフィードバックによる振動:出力が入力を抑制するループに適切な時間遅延が加わると、周期的な振動が自発的に生じる。
これらは電子回路の増幅器、フリップフロップ回路、発振器に対応しており、細胞は分子で「計算」をしているのです。
この3つの設計原理を、数式を使って順に理解していきましょう。まず、最も直感的な「カスケードによる増幅」から始めます。
1分子のホルモンが受容体に結合したとき、もし「1分子の受容体が1分子の応答分子を活性化する」だけなら、信号は増幅されません。実際の細胞では、受容体が活性化するとGタンパク質を介してアデニル酸シクラーゼが活性化され、1つの酵素が多数のcAMP(セカンドメッセンジャー)を生産します。cAMPはさらにプロテインキナーゼA(PKA)を活性化し、PKAは複数の標的タンパク質をリン酸化します。このように、活性化シグナルが段階的に伝わるしくみをシグナル伝達カスケードと呼びます。
カスケードの各段階で、1つの活性化酵素が単位時間あたりに活性化できる下流分子の数を増幅率(gain)$g$ と呼びましょう。たとえば、1分子の活性型Gタンパク質が活性化したアデニル酸シクラーゼ1分子は、1秒あたり約100分子のcAMPを生産できます。この場合、この段階の増幅率は $g \approx 100$ です。
$n$ 段のカスケードにおいて、各段階の増幅率を $g_1, g_2, \ldots, g_n$ とすると、全体の増幅率 $G$ は各段階の増幅率の積になります。
$$G = g_1 \cdot g_2 \cdot g_3 \cdots g_n = \prod_{i=1}^{n} g_i$$
$G$:全体の増幅率(1分子の入力シグナルに対して最終的に活性化される分子の数)。$g_i$:第 $i$ 段階の増幅率。$n$:カスケードの段数。
具体例として、アドレナリンによるグリコーゲン分解のカスケードを定量的に追ってみましょう。
| 段階 | 反応 | 増幅率 |
|---|---|---|
| 1 | アドレナリン1分子 → 受容体活性化 → Gタンパク質の活性化 | $g_1 \approx 10$ |
| 2 | Gタンパク質 → アデニル酸シクラーゼ活性化 → cAMP生産 | $g_2 \approx 100$ |
| 3 | cAMP → PKA活性化 | $g_3 \approx 10$ |
| 4 | PKA → ホスホリラーゼキナーゼの活性化 | $g_4 \approx 10$ |
| 5 | ホスホリラーゼキナーゼ → グリコーゲンホスホリラーゼの活性化 | $g_5 \approx 10$ |
全体の増幅率は次のように計算できます。
$$G = g_1 \cdot g_2 \cdot g_3 \cdot g_4 \cdot g_5 \approx 10 \times 100 \times 10 \times 10 \times 10 = 10^6$$
つまり、アドレナリン1分子の結合から、最終的に約 $10^6$(100万)分子のグルコース-1-リン酸が遊離します。これが「1分子のホルモンで細胞全体が応答する」仕組みの正体です。
細胞増殖や分化のシグナルを伝えるMAPキナーゼカスケード(MAPKKK → MAPKK → MAPK)は、3段のキナーゼカスケードです。各段階で上流のキナーゼが下流のキナーゼをリン酸化して活性化します。
このカスケードの特筆すべき点は、単なる増幅だけでなくウルトラセンシティビティ(超感度応答)を生み出すことです。これは入力の小さな変化に対して出力が急激に変化する性質であり、次のセクションで扱う「スイッチ」の基盤となります。
カスケードの入力(シグナル濃度 $S$)と出力(最終段MAPKの活性化割合 $f$)の関係は、B-3-3で学んだヒルの式と同じ形で近似できます。
$$f = \frac{S^{n_H}}{K^{n_H} + S^{n_H}}$$
ここで $n_H$ は見かけのヒル係数で、カスケードの段数や各段階の飽和度に依存します。1段のキナーゼが二重リン酸化で活性化される場合(MAPKKがMAPKを2か所リン酸化する場合など)、各段階が $n_H \approx 2$ 程度のウルトラセンシティビティを持ちます。3段カスケード全体では $n_H$ は最大で $\sim 5$ に達し得ます。
$n_H = 1$(ミカエリス・メンテン型)では入力が10%から90%の出力変化を引き起こすのに81倍の濃度変化が必要ですが、$n_H = 5$ では約3倍で済みます。つまり、カスケードは信号に対する応答を「急峻」にするのです。
誤:カスケードの段数を増やすほど信号が増幅されるだけ
正:カスケードには2つの機能があります。(1) 各段階の酵素反応による分子数の増幅(100万倍など)。(2) 多段階のスイッチ的反応による応答曲線の急峻化(ウルトラセンシティビティ)。後者は増幅率とは独立な性質で、入出力関係の「形」を変えます。
カスケードによる増幅とウルトラセンシティビティは、弱いシグナルを強い応答に変換し、かつ応答を急峻にする仕組みでした。しかし、これだけでは細胞は「どのくらい活性化するか」を連続的に調節するだけです。次のセクションでは、フィードバック回路がどのようにして細胞に「オンかオフか」の二択を強いるかを見ていきます。
正のフィードバックとは、出力がさらに自分自身の活性化を促進するループのことです。たとえば、MAPKが活性化されると、上流のMAPKKKの活性化を促進する経路が存在する場合、一度活性化が始まると自己増幅的に進みます。
日常的な例えで言えば、これは「マイクとスピーカーのハウリング」に似ています。スピーカーの出力がマイクに戻って増幅されるループができると、一気に大音量になります。しかし、生体内の正のフィードバックはハウリングのように際限なく増大するのではなく、「2つの安定状態」の間を切り替えるスイッチとして機能します。
正のフィードバックによるスイッチを最も単純なモデルで考えましょう。あるタンパク質 $X$ の活性化型の濃度を $x$ とします。$X$ は自分自身の活性化を促進するとします(正のフィードバック)。このとき、$x$ の時間変化は次のように書けます。
$$\frac{dx}{dt} = \frac{\beta x^{n_H}}{K^{n_H} + x^{n_H}} + \alpha S - \gamma x$$
各項の生物学的意味を確認しましょう。
定常状態 $dx/dt = 0$ を求めるために、活性化速度(第1項 + 第2項)と失活速度(第3項)を等しくします。
$$\frac{\beta x^{n_H}}{K^{n_H} + x^{n_H}} + \alpha S = \gamma x$$
この方程式の解を視覚的に理解するために、左辺(活性化速度)と右辺(失活速度 $\gamma x$)を $x$ の関数としてグラフに描くことを考えましょう。失活速度 $\gamma x$ は原点を通る直線です。一方、活性化速度は $\alpha S$ で底上げされたS字型(シグモイド型)の曲線です。
$n_H$ が十分に大きい場合(典型的には $n_H \geq 2$)、このS字型の曲線と直線は3つの交点を持ち得ます。このうち低い $x$ の交点と高い $x$ の交点が安定な定常状態であり、中間の交点は不安定です。これが双安定性(bistability)です。
正のフィードバック系が双安定性(2つの安定な定常状態)を持つための必要条件は次の通りです。
(1) 正のフィードバックのヒル係数が $n_H \geq 2$ であること。$n_H = 1$(ミカエリス・メンテン型)では、活性化曲線にS字型の屈曲が生じないため、直線との交点は常に1つだけになり、双安定性は生じません。
(2) 失活速度定数 $\gamma$ が適切な範囲にあること。$\gamma$ が大きすぎると直線の傾きが急で低い交点しかなく(常にオフ)、小さすぎると高い交点しかありません(常にオン)。
$n_H \geq 2$ は協同的な活性化、すなわちタンパク質の多量体化やアロステリック効果(B-3-3参照)によって実現されます。
双安定系の重要な性質はヒステリシス(履歴依存性)です。外部シグナル $S$ を徐々に増加させていくと、あるしきい値 $S_{\mathrm{on}}$ で系は低い定常状態から高い定常状態に急激にジャンプします(オンへのスイッチ)。しかし、$S$ を減少させるとき、オフに戻るしきい値 $S_{\mathrm{off}}$ は $S_{\mathrm{on}}$ より低い値になります。
$$S_{\mathrm{off}} < S_{\mathrm{on}}$$
つまり、一度オンになった系は、シグナルがオンの閾値を下回っても即座にはオフに戻りません。これはちょうど電気のスイッチと同じで、「パチン」と切り替わったら簡単には戻らない性質です。この不可逆性に近い性質は、細胞の運命決定(分化や細胞周期の進行)において極めて重要です。
細胞がG2期からM期(有糸分裂期)に入るとき、CDK1(サイクリン依存性キナーゼ1)が正のフィードバックで活性化されます。CDK1は自身の阻害キナーゼWee1を不活性化し、同時に自身の活性化ホスファターゼCdc25を活性化します。この二重の正のフィードバックにより、CDK1の活性化は急激なスイッチとして動作し、細胞は「分裂する」か「しない」かの二択を迫られます。中途半端な染色体凝縮は許されないのです。
正のフィードバックが「スイッチ」を作ることがわかりました。では、負のフィードバックは何を生み出すのでしょうか。高校では「恒常性の維持」と学びましたが、実は条件次第で負のフィードバックは自発的な振動を引き起こします。次のセクションで、その数理を見ていきましょう。
高校で学んだ負のフィードバック(たとえば血糖調節)は、系を一定値に保つ「恒常性」のメカニズムでした。これは直感的に理解しやすいでしょう。しかし、負のフィードバックに時間遅延が加わると、系は一定値に落ち着かず、周期的な振動を始めることがあります。
その直感的な説明はこうです。出力が上昇すると、負のフィードバックによって抑制信号が送られますが、この抑制が遅れて届きます。抑制が届いたときには出力がすでに上がりすぎており、今度は抑制が効きすぎて出力が下がりすぎます。すると抑制が解除されますが、解除もまた遅れて届くため、出力が再び上がりすぎる ── こうして振動が持続します。
1981年、Albert Goldbeterと合成生物学者たちは、cAMPシグナル系の振動を説明する最小モデルを提案しました。ここでは、負のフィードバック振動の本質を捉える簡略化モデルを考えましょう。3つの変数を持つ負のフィードバックループです。
変数 $A$(活性化酵素)、$B$(中間体)、$C$(抑制因子)が以下のように循環的に制御するとします。$A$ が $B$ を活性化し、$B$ が $C$ を活性化し、$C$ が $A$ を抑制します。
$$\frac{dA}{dt} = \frac{\beta_1}{1 + (C/K_3)^{n_3}} - \gamma_1 A$$
$$\frac{dB}{dt} = \beta_2 \cdot \frac{A^{n_1}}{K_1^{n_1} + A^{n_1}} - \gamma_2 B$$
$$\frac{dC}{dt} = \beta_3 \cdot \frac{B^{n_2}}{K_2^{n_2} + B^{n_2}} - \gamma_3 C$$
$\beta_i$:最大生産速度。$\gamma_i$:分解速度定数。$K_i$:半飽和濃度。$n_i$:ヒル係数。$C$ が $A$ を抑制する項(第1式の分母)が負のフィードバックに対応します。3段階の遅延を経て $A$ の抑制信号が戻ってくるため、時間遅延が生じます。
このモデルが振動するかどうかは、定常状態の安定性解析で判定できます。定常状態の周りで微小な摂動を与えたとき、摂動が減衰すれば安定(振動しない)、摂動が増幅すれば不安定(振動する)です。
数学的には、定常状態におけるヤコビ行列の固有値に正の実部を持つ複素固有値のペアが現れると、系は振動的に不安定になります(ホップ分岐と呼ばれます)。詳細な計算は省略しますが、振動が生じるための直感的な条件は次の通りです。
振動の周期 $T$ は、フィードバックループを1周するのにかかる時間に関係します。各段階の応答時間がそれぞれ $\tau_1, \tau_2, \tau_3$ であるとすると、周期はおおよそ次のように見積もれます。
$$T \sim 2(\tau_1 + \tau_2 + \tau_3) = 2 \sum_{i=1}^{3} \tau_i$$
係数 2 は、振動の1周期には「上昇」と「下降」の2つの半周期が含まれるためです。各 $\tau_i$ はおおよそ $1/\gamma_i$(分解の時間スケール)で決まります。たとえば、各段階の $\gamma_i$ が $1/\tau_i \sim 0.1 \, \mathrm{min}^{-1}$($\tau_i \sim 10$ 分)であれば、$T \sim 2 \times 30 = 60$ 分程度の周期が予想されます。
がん抑制タンパク質p53は、DNA損傷が検出されると活性化し、Mdm2というタンパク質の転写を促進します。Mdm2はp53を分解する(ユビキチン化する)ため、p53-Mdm2は負のフィードバックループを形成します。実験的に、DNA損傷後にp53の濃度が約5時間周期で振動することが1細胞レベルのイメージングで示されました(Lahav et al., 2004)。この振動の回数がDNA損傷の深刻さに対応し、細胞は「修復するか、アポトーシスに入るか」を決定すると考えられています。
ここまでで、シグナル伝達の3つの設計原理 ── 増幅、スイッチ(双安定性)、振動 ── を数理的に理解しました。次のセクションでは、これらの原理が実際の医療や合成生物学にどう応用されているかを見ていきます。
がん細胞の多くは、シグナル伝達カスケードの異常によって生じます。たとえば、Rasタンパク質はMAPキナーゼカスケードの上流に位置するGタンパク質ですが、ヒトのがんの約30%でRas遺伝子に変異が見つかっています。変異型Rasは常に活性化状態(GTP結合型)にロックされ、外部からのシグナルなしにカスケードを常時活性化し続けます。
これは双安定スイッチが「オン」に固定されてしまった状態と理解できます。本来は成長因子シグナルに依存してオン/オフが切り替わるはずのスイッチが、変異によって恒常的にオンとなり、制御不能な増殖を引き起こすのです。
この理解に基づいて開発されたのが分子標的薬です。たとえば、MAPキナーゼカスケードの各段階を標的とする阻害剤が臨床で使われています。
しかし、カスケードの1か所を阻害しても、フィードバック回路を通じて別の経路が活性化される「耐性」が問題になります。これはまさに本記事で学んだフィードバックの数理が臨床的に重要になる場面です。
シグナル伝達の設計原理が数理的に理解されたことで、人工的な遺伝子回路の設計が可能になりました。2000年、Gardner, Cantor, Collinsは大腸菌に2つの抑制因子による正のフィードバック(相互抑制)回路を組み込み、人工的な双安定スイッチ(トグルスイッチ)を構築しました。同じ年、ElowitzとLeiblerは3つの抑制因子による負のフィードバック回路(レプレシレーター)を大腸菌に構築し、蛍光タンパク質の周期的な振動を実現しました。
これらの成果は、本記事で学んだ双安定性と振動の数理が正しいことを実験的に証明しただけでなく、合成生物学という新しい分野の出発点となりました。
レプレシレーターは、3つの転写抑制因子 $A$, $B$, $C$ が環状に抑制し合う回路です。$A$ が $B$ を抑制し、$B$ が $C$ を抑制し、$C$ が $A$ を抑制します。これは本記事のセクション5で扱った3変数の負のフィードバック振動子と同じ構造です。Elowitzらは、各抑制因子の強さ(ヒル係数)と分解速度を理論モデルで事前に計算し、振動が安定に生じるパラメータ範囲を予測した上で回路を構築しました。理論と実験の融合の好例です。
シグナル伝達の数理は、生命現象の理解にとどまらず、がん治療の戦略設計や人工生命の構築にまで応用される、現代生物学の中核的な概念です。次のセクションでは、本記事の内容が他のトピックとどのようにつながるかを整理します。
シグナル伝達の設計原理は、分子生物学から生態学まで、「回路」と「フィードバック」という共通の数理的枠組みで多くのトピックとつながります。
それでは最後に、本記事の要点をまとめましょう。
Q1. アドレナリンのシグナル伝達カスケードにおいて、各段階の増幅率が $g_1 = 10$, $g_2 = 100$, $g_3 = 10$, $g_4 = 10$, $g_5 = 10$ であるとき、全体の増幅率はいくらですか。なぜ「積」になるのかを説明してください。
Q2. 正のフィードバックによる双安定性が生じるために、ヒル係数が $n_H \geq 2$ でなければならない理由を説明してください。
Q3. 負のフィードバックが「恒常性の維持」ではなく「振動」を引き起こすのは、どのような条件が加わったときですか。
Q4. Ras遺伝子の変異ががんを引き起こす仕組みを、シグナル伝達の設計原理の観点から説明してください。
あるシグナル伝達カスケードが4段階からなり、各段階の増幅率がそれぞれ $g_1 = 20$, $g_2 = 50$, $g_3 = 10$, $g_4 = 5$ であるとする。受容体に1分子のリガンドが結合したとき、最終的に活性化される分子の数を求めよ。
$$G = g_1 \cdot g_2 \cdot g_3 \cdot g_4 = 20 \times 50 \times 10 \times 5 = 50{,}000$$
最終的に $5.0 \times 10^4$ 個の分子が活性化されます。
カスケードの全体増幅率は各段階の増幅率の積です。4段階でもすでに5万倍の増幅が実現されています。このように、カスケードの段数が増えるほど増幅率は指数的に大きくなります。
ヒル係数 $n_H = 1$ と $n_H = 4$ の2つのシグナル応答系において、出力が最大値の10%から90%に変化するために入力を何倍にする必要があるか、それぞれ計算せよ。ヒルの式 $f = S^{n_H}/(K^{n_H} + S^{n_H})$ を用いよ。
$f = S^{n_H}/(K^{n_H} + S^{n_H})$ を $S$ について解くと、$S = K(f/(1-f))^{1/n_H}$ です。
$f = 0.1$ のとき $S_{10} = K(0.1/0.9)^{1/n_H} = K(1/9)^{1/n_H}$
$f = 0.9$ のとき $S_{90} = K(0.9/0.1)^{1/n_H} = K \cdot 9^{1/n_H}$
したがって、$S_{90}/S_{10} = 9^{2/n_H}$ です。
$n_H = 1$ のとき:$S_{90}/S_{10} = 9^2 = 81$ 倍
$n_H = 4$ のとき:$S_{90}/S_{10} = 9^{1/2} = 3$ 倍
$n_H = 1$(ミカエリス・メンテン型)では、10%応答から90%応答に到達するのに入力を81倍にする必要がありますが、$n_H = 4$ ではたった3倍で済みます。これがウルトラセンシティビティの本質です。ヒル係数が大きいほど「スイッチ的」な応答になることが定量的にわかります。なお、$S_{90}/S_{10} = 81^{1/n_H}$ とも書けます。
正のフィードバック系 $dx/dt = \beta x^2/(K^2 + x^2) - \gamma x$(外部入力なし、$\alpha S = 0$)について、定常状態を求めよ。$x = 0$ が常に定常状態であることを確認し、$x \neq 0$ の定常状態が存在するための $\beta$ と $\gamma$ の条件を導け。
定常状態 $dx/dt = 0$ より、
$$\frac{\beta x^2}{K^2 + x^2} = \gamma x$$
$x = 0$ は明らかにこの式を満たすので、常に定常状態です。
$x \neq 0$ のとき、両辺を $x$ で割ると、
$$\frac{\beta x}{K^2 + x^2} = \gamma$$
$x$ について整理すると、$\beta x = \gamma(K^2 + x^2)$、すなわち $\gamma x^2 - \beta x + \gamma K^2 = 0$ です。
判別式 $D = \beta^2 - 4\gamma^2 K^2 > 0$ であれば正の実数解が存在します。
$$\beta > 2\gamma K$$
これが $x \neq 0$ の定常状態(オン状態)が存在するための条件です。
$\beta > 2\gamma K$ は、正のフィードバックの最大活性化速度 $\beta$ が、失活速度 $\gamma$ と閾値 $K$ の積の2倍を超えなければならないことを意味します。直感的には、「自己活性化の強さが失活を上回る」ときに初めて「オン」の安定状態が出現します。$\beta = 2\gamma K$ はちょうど2つの解が一致するサドルノード分岐点に対応します。
負のフィードバック振動子の周期が各段階の応答時間の和に依存することを利用して、以下の問いに答えよ。3段階の負のフィードバックループの各段階の分解速度定数が $\gamma_1 = 0.05 \, \mathrm{min}^{-1}$, $\gamma_2 = 0.1 \, \mathrm{min}^{-1}$, $\gamma_3 = 0.2 \, \mathrm{min}^{-1}$ であるとき、振動の周期をおおよそ見積もれ。
各段階の応答時間は $\tau_i \approx 1/\gamma_i$ より、
$\tau_1 = 1/0.05 = 20$ 分、$\tau_2 = 1/0.1 = 10$ 分、$\tau_3 = 1/0.2 = 5$ 分
$$T \sim 2(\tau_1 + \tau_2 + \tau_3) = 2(20 + 10 + 5) = 70 \text{ 分}$$
振動の周期は約70分と見積もられます。
最も分解が遅い段階($\gamma_1 = 0.05 \, \mathrm{min}^{-1}$, $\tau_1 = 20$ 分)が全体の周期を律速していることがわかります。振動の周期を変えたい場合、最も遅い段階のタンパク質の分解速度を変えるのが効果的です。これはp53の振動周期(約5時間)がMdm2の分解速度に依存するという実験事実と整合します。なお、この見積もりは概算であり、正確な周期はモデルの非線形性に依存します。
正のフィードバック系のヒステリシスについて考える。以下のモデルを用いよ。
$$\frac{dx}{dt} = \frac{\beta x^2}{K^2 + x^2} + \alpha S - \gamma x$$
(a) 定常状態の条件 $dx/dt = 0$ から、外部シグナル $S$ を $x$ の関数として表せ。
(b) $\beta = 10$, $K = 1$, $\gamma = 2$, $\alpha = 1$ のとき、$dS/dx = 0$ を満たす $x$ の値を求め、スイッチングが起きるシグナル強度 $S_{\mathrm{on}}$ と $S_{\mathrm{off}}$ の大小関係を論じよ。
(c) このヒステリシスが細胞の運命決定(たとえば幹細胞の分化)においてなぜ有利かを、生物学的に説明せよ。
(a) 定常状態 $dx/dt = 0$ より、
$$\alpha S = \gamma x - \frac{\beta x^2}{K^2 + x^2}$$
$$S = \frac{1}{\alpha}\left(\gamma x - \frac{\beta x^2}{K^2 + x^2}\right)$$
(b) $\alpha = 1$, $\beta = 10$, $K = 1$, $\gamma = 2$ を代入すると、
$$S(x) = 2x - \frac{10x^2}{1 + x^2}$$
$dS/dx = 0$ を求めます。
$$\frac{dS}{dx} = 2 - \frac{10 \cdot 2x(1 + x^2) - 10x^2 \cdot 2x}{(1 + x^2)^2} = 2 - \frac{20x}{(1 + x^2)^2} = 0$$
$$20x = 2(1 + x^2)^2$$
$$10x = (1 + x^2)^2$$
$x = 1$ を代入すると、$10 = (1 + 1)^2 = 4$ で不成立。$x = 3$ を代入すると、$30 = (1 + 9)^2 = 100$ で不成立。数値的に解くと、$x \approx 0.38$ と $x \approx 2.62$ に極値があります。
$S(0.38) \approx 2(0.38) - 10(0.38)^2/(1 + 0.38^2) \approx 0.76 - 1.27 \approx -0.51$(ただし $S \geq 0$ なので物理的にはオフ状態は $S = 0$ 近傍)
$S(2.62) \approx 2(2.62) - 10(2.62)^2/(1 + 2.62^2) \approx 5.24 - 8.18 \approx -2.94$
より正確には、$S$-$x$ 曲線の折り返し点から $S_{\mathrm{off}} < S_{\mathrm{on}}$ が成立し、ヒステリシスが生じます。シグナルを増加させてオンになる閾値 $S_{\mathrm{on}}$ は、シグナルを減少させてオフに戻る閾値 $S_{\mathrm{off}}$ より大きくなります。
(c) ヒステリシスにより、一度分化した細胞は、分化シグナルが多少低下しても元の未分化状態には戻りません。これは細胞の運命決定の不可逆性を保証します。もしヒステリシスがなければ、シグナルの微小な揺らぎで細胞が分化と脱分化を繰り返し、安定な組織形成が不可能になります。ヒステリシスは「ノイズに対する頑健性」を提供するのです。
$S$-$x$ 曲線がS字型(折り返しを持つ形)になることが双安定性の幾何学的条件です。折り返し点が $dS/dx = 0$ に対応し、2つの折り返し点の $S$ の値がそれぞれ $S_{\mathrm{off}}$ と $S_{\mathrm{on}}$ です。生物学的には、このヒステリシスが「決断」の堅固さを保証しています。細胞周期のG1/Sチェックポイント、卵母細胞の成熟、筋芽細胞の分化など、多くの不可逆的な細胞決定で正のフィードバックによるヒステリシスが報告されています。