高校生物では、CRISPR-Cas9がガイドRNAを使って狙った遺伝子を編集できることを学びます。しかし、ヒトゲノムには約30億塩基対ものDNAが存在します。そのなかから、わずか20塩基の標的配列をどうやって見つけ出すのでしょうか。すべてのDNAをほどいて片っ端から読むのでは、途方もない時間がかかるはずです。
この問題を解く鍵がPAM配列です。Cas9タンパク質はまずDNA上の短い目印(PAM)を認識し、その隣の配列だけをガイドRNAと照合します。この「まず目印を探し、次に本文を読む」という二段階の検索戦略により、Cas9はゲノム全体を驚くほど高速にスキャンできるのです。本記事では、PAM認識からR-loop形成、そしてDNA二本鎖切断に至る分子機構を一本の筋でたどり、さらに塩基編集やプライム編集といった次世代技術がこの機構をどう改変しているかまで見ていきます。
高校生物では、ゲノム編集を「生物の遺伝子を狙って改変する技術」として学びます。その代表的ツールがCRISPR-Cas9です。高校で押さえる要点を整理しましょう。
CRISPR-Cas9は2つの要素からなります。1つはCas9というDNA切断酵素(ヌクレアーゼ)、もう1つはガイドRNA(gRNA)です。ガイドRNAは標的DNAの配列と相補的な20塩基ほどの配列を含んでおり、Cas9をゲノム上の特定の場所に誘導します。Cas9はガイドRNAが指し示す場所でDNAの二本鎖を切断し、細胞自身のDNA修復機構が働くことで、遺伝子の破壊や書き換えが起こります。
高校の教科書では、従来の遺伝子組換え技術(制限酵素とベクターを用いる方法)との違いとして、CRISPR-Cas9は「任意の場所を狙える」点が強調されます。制限酵素が認識するのは4〜8塩基の短い特定配列だけですが、ガイドRNAの配列を変えるだけで標的を自由に設計できるのがCRISPR-Cas9の画期的な点です。
しかし、ここで根本的な疑問が残ります。ヒトゲノムの30億塩基対のなかで、20塩基の標的をどうやって「見つける」のでしょうか。また、狙った場所以外を切ってしまうことはないのでしょうか。次のセクションで、大学レベルの分子機構がこの疑問にどう答えるかを見ていきましょう。
Cas9がゲノム全体から標的を見つける秘密は、二段階の検索戦略にあります。Cas9はまずDNA上を三次元的に拡散しながら、わずか2〜3塩基の短いPAM配列(NGG)を探します。PAMを見つけると、その隣のDNAをほどいてガイドRNAとの相補性を確認します。一致すればR-loopを完成させて切断に進み、一致しなければ離れて次のPAMを探します。
この仕組みは、分厚い本から特定の文を探すとき、まず章番号(PAM)を手がかりに目星をつけ、次にその周辺の文章を読んで確認する作業に似ています。章番号なしに全ページを通読するのに比べ、はるかに効率的です。
この二段階検索の仕組みを理解するために、まずCRISPR-Cas9の進化的起源に遡りましょう。なぜ細菌がこのような精巧なシステムを持っているのか ── それを知ることで、分子機構の「なぜ」が見えてきます。
CRISPRは「Clustered Regularly Interspaced Short Palindromic Repeats」の略で、日本語では「クラスター化された規則的な間隔の短い回文配列の反復」と訳されます。1987年、大阪大学の石野良純らが大腸菌のゲノム中に奇妙な反復配列を発見したのが最初の報告です。同じ配列(リピート)が等間隔で並び、その間に異なる短い配列(スペーサー)が挟まっている構造でした。
長らくこの配列の機能は不明でしたが、2005年にスペーサー配列がバクテリオファージ(細菌に感染するウイルス)のDNA配列と一致することが発見されました。つまり、CRISPRは細菌が過去に侵入されたファージのDNA断片を「記録」として保存している免疫記憶だったのです。
細菌のCRISPR免疫は、次の3段階で機能します。
この仕組みは、ヒトの獲得免疫(抗体が外来抗原の情報を記憶し、二度目の感染で迅速に対応する)と驚くほど類似しています。細菌にも「記憶」に基づく防御システムがあったのです。
CRISPRシステムには2つのクラス、6つのタイプ、多数のサブタイプが存在します。ゲノム編集に使われるCas9はクラス2・タイプIIに属し、1つのタンパク質で標的認識と切断の両方を行える点が特徴です。他のタイプ(たとえばタイプI)では複数のタンパク質が複合体を形成して機能するため、ツールとしての利用が難しくなります。Cas9が最初にゲノム編集に応用されたのは、このシンプルさゆえです。
2012年、カリフォルニア大学バークレー校のジェニファー・ダウドナと、当時スウェーデンのウメオ大学にいたエマニュエル・シャルパンティエは、化膿レンサ球菌(Streptococcus pyogenes)のCas9が試験管内でDNAを切断できることを実証しました。さらに重要なことに、crRNAとtracrRNA(トランス活性化crRNA)を一本の人工RNA(sgRNA、single guide RNA)に融合しても同じ機能を果たすことを示しました。
この発見が意味するのは、sgRNAの配列を自由に設計するだけで、任意のDNA配列を切断できるということです。2020年、両氏はこの業績によりノーベル化学賞を受賞しました。では、Cas9とsgRNAは分子レベルでどのように標的を見つけて切断するのか ── 次のセクションで、その精密な分子機構を見ていきましょう。
まず、Cas9のパートナーであるsgRNA(single guide RNA)の構造を理解しましょう。sgRNAは大きく2つの領域からなります。
Cas9はまずsgRNAと結合してCas9-sgRNA複合体(リボ核タンパク質複合体、RNP)を形成します。この時点で、Cas9の構造は大きく変化し、DNAを受け入れる溝(チャネル)が開きます。sgRNAを持たないCas9はDNAに結合できません。つまり、sgRNAはガイド役であると同時に、Cas9を「活性化」する役割も担っています。
PAM(Protospacer Adjacent Motif、プロトスペーサー隣接モチーフ)は、標的DNA上でスペーサー配列のすぐ下流にある短い配列です。S. pyogenes 由来のCas9(SpCas9)では、PAMは5'-NGG-3'(Nは任意の塩基)です。
PAMが存在する生物学的理由は、細菌が自分自身のCRISPR配列を切断しないためです。細菌のゲノム中のCRISPR配列にはPAMがないため、Cas9は自己のDNAを攻撃しません。一方、侵入したファージDNAにはPAMが存在するため、標的として認識されます。
Cas9-sgRNA複合体がDNA上を検索するとき、最初に行うのはPAMの認識です。Cas9のPAM相互作用ドメイン(PAM-interacting domain, PID)が、DNAの副溝(minor groove)側からPAM配列の2つのグアニン(GG)を直接認識します。この認識はRNA-DNA間の塩基対形成ではなく、タンパク質のアミノ酸残基とDNA塩基の間の水素結合によって行われます。
誤:ガイドRNAがPAM配列と塩基対を形成して標的を認識する
正:PAMはCas9タンパク質自身のアミノ酸残基が認識する。sgRNAのスペーサー領域はPAMの隣の20塩基(プロトスペーサー)と塩基対を形成する。PAM認識はタンパク質-DNA相互作用、スペーサー認識はRNA-DNA相互作用であり、2つは別の分子機構である。
PAMを認識すると、Cas9はそのすぐ隣のDNA二本鎖をほどき始めます。ここからR-loop(RNA-DNAハイブリッドとはじき出された一本鎖DNAが作るループ構造)の形成が始まります。
R-loop形成は、PAM近位側(PAMに近い側、3'側)から始まり、PAM遠位側(PAMから遠い側、5'側)に向かって進行します。sgRNAのスペーサー領域が標的DNA鎖と1塩基ずつ塩基対を形成していき、相補的でない鎖(非標的鎖)ははじき出されます。この過程を方向性のあるアンジッピング(directional unzipping)と呼びます。
ここで決定的に重要なのは、R-loopの形成が段階的なチェックポイントになっていることです。
この「シード領域の厳格さ」と「遠位側の寛容さ」の非対称性が、後述するオフターゲット効果の分子的原因になります。
ヒトゲノム(約 $3 \times 10^9$ 塩基対)中にPAM配列(NGG)が出現する頻度を概算してみましょう。4塩基のうちGの出現確率を約 $1/4$ とすると、NGGが出現する確率は約 $1/4 \times 1/4 = 1/16$ です。
$$\frac{3 \times 10^9}{16} \approx 1.9 \times 10^8$$
約2億カ所のPAM候補があることになります。一見膨大ですが、Cas9-sgRNA複合体は三次元拡散でDNAと衝突し、PAMの認識は数ミリ秒で行えます。PAMが一致しない場所では即座に離れるため、ゲノム全体のスキャンは数時間以内に完了できると見積もられています。もしPAMなしにすべてのDNA配列を20塩基分ほどいて照合しなければならないとしたら、必要な時間は桁違いに長くなるでしょう。PAMによる「事前ふるい」がいかに重要かがわかります。
R-loopが約20塩基にわたって完全に形成されると、Cas9は構造変化を起こし、2つのヌクレアーゼドメインが活性化されます。
両方のドメインが同じ位置付近で切断することにより、平滑末端(blunt end)に近い二本鎖切断(DSB: Double-Strand Break)が生じます。この切断部位は正確に制御されており、PAMから数えて3塩基目という決まった位置です。
Cas9がDNAを切断するために必要な条件を整理すると、以下の3つが同時に満たされなければなりません。
(1) 標的配列の3'側直後にPAM配列(5'-NGG-3')が存在すること
(2) sgRNAのスペーサー領域(約20塩基)が標的DNAと相補的であること(特にシード領域の8〜12塩基は厳密な一致が必要)
(3) 完全なR-loopの形成によりCas9のHNH・RuvCドメインの構造変化が誘起されること
ここまでで、Cas9がゲノムから標的を見つけ出し、二本鎖切断を入れるまでの分子機構がわかりました。しかし、ゲノム編集が完了するにはもう1つのステップ ── 切断されたDNAの修復 ── が必要です。次のセクションでは、細胞がDSBをどのように修復するか、そしてそれをどう利用するかを見ていきましょう。
細胞のDNAに二本鎖切断(DSB)が入ると、細胞はこれを致命的な損傷と認識し、直ちに修復を開始します。主な修復経路は2つあります。
(1) NHEJ(非相同末端結合、Non-Homologous End Joining):切断されたDNA末端をそのまま繋ぎ合わせる経路です。鋳型を必要としないため高速ですが、繋ぐ際に数塩基の挿入や欠失(インデル、indel)が起こりやすく、結果としてフレームシフト突然変異により遺伝子が機能を失います(ノックアウト)。NHEJは細胞周期を通じて活性があります。
(2) HDR(相同組換え修復、Homology-Directed Repair):相同な配列を鋳型として正確に修復する経路です。姉妹染色分体(S期・G2期に存在)や外部から導入した鋳型DNAを使って、切断部位に目的の配列を正確に書き込むことができます(ノックイン)。ただし、HDRはS期・G2期にしか活性がなく、NHEJに比べて効率が低いという制約があります。
| 特徴 | NHEJ | HDR |
|---|---|---|
| 鋳型DNA | 不要 | 必要(姉妹染色分体または外来鋳型) |
| 修復の正確性 | 低い(インデルが発生) | 高い(正確な配列の書き込みが可能) |
| 細胞周期 | 全期で活性あり | S期・G2期のみ |
| 効率 | 高い(優先的に選択される) | 低い |
| ゲノム編集での用途 | 遺伝子ノックアウト | 遺伝子ノックイン・正確な配列置換 |
効果的なゲノム編集を行うには、sgRNAの設計が極めて重要です。設計で考慮すべき主なポイントを整理しましょう。
オフターゲット効果とは、意図した標的以外のゲノム部位をCas9が切断してしまう現象です。その分子的原因は、セクション4で述べたR-loop形成の非対称性に直結しています。
R-loopはPAM近位側から形成されるため、PAM遠位側(5'側)のミスマッチは形成途中で検出されにくく、切断活性を完全には阻害しません。たとえば、20塩基中1〜3塩基のミスマッチがPAM遠位側にある場合、Cas9はそのDNAを切断できることがあります。このような「不完全一致配列」はヒトゲノム中に数十から数千カ所存在しうるため、意図しないゲノム改変が起こるリスクがあります。
誤:20塩基が完全に一致する場所はゲノム中に1カ所しかないので、オフターゲット効果は問題にならない
正:Cas9は20塩基すべてが完全に一致しなくても切断できる。特にPAM遠位側のミスマッチには寛容であるため、部分的に一致する配列がオフターゲット部位になりうる。オフターゲットのリスクは実験的に評価する必要がある。
オフターゲット効果は、CRISPR-Cas9を臨床応用する上での最大の課題の一つです。次のセクションでは、この課題を克服するために開発された次世代のゲノム編集技術を見ていきましょう。
2016年、ハーバード大学のデイビッド・リューらは、Cas9の切断活性を利用しない全く新しいゲノム編集技術を開発しました。塩基編集(Base Editing)です。
塩基編集の基本アイデアは、Cas9のヌクレアーゼ活性を「片方だけ」または「両方とも」不活性化し(ニッカーゼCas9またはdCas9)、代わりに脱アミノ酵素(デアミナーゼ)を融合させることです。Cas9のPAM認識とR-loop形成の能力はそのまま利用し、標的部位に到達した後、二本鎖切断の代わりに特定の塩基を化学的に変換します。
塩基編集の画期的な点は、二本鎖切断を起こさずに一塩基だけを変えることです。DSBを経由しないため、NHEJによる予期しないインデルが生じるリスクが大幅に低下します。ヒトの遺伝性疾患の約6割は一塩基の変異(点突然変異)が原因とされており、塩基編集はこれらの疾患の治療に大きな可能性を持っています。
2019年、同じくリューらはプライム編集(Prime Editing)を発表しました。塩基編集はC→TまたはA→Gの変換に限られますが、プライム編集は任意の塩基置換、小規模な挿入、小規模な欠失を実現できます。
プライム編集では、ニッカーゼCas9(HNHドメインのみ不活性化)に逆転写酵素を融合させたタンパク質と、pegRNA(prime editing guide RNA)を用います。pegRNAは通常のsgRNAに加えて、3'末端に「書き込みたい配列の鋳型」(RTテンプレート)と「標的と結合するためのプライマー結合配列」(PBS)を持っています。
プライム編集の手順は次の通りです。
プライム編集は「検索して書き換える」(search and replace)と表現されます。二本鎖切断もドナー鋳型DNAも不要であり、オフターゲットのリスクも従来のCas9より大幅に低いとされています。
ゲノム編集技術は、(1) CRISPR-Cas9(DSBを利用)→ (2) 塩基編集(DSBなし・一塩基変換)→ (3) プライム編集(DSBなし・任意の編集)と進化してきました。これらすべてに共通するのは、Cas9のPAM認識とR-loop形成という「標的検索エンジン」を利用している点です。違いは、標的に到達した後に何をするか(切断、塩基変換、逆転写)だけです。Cas9の検索機構の理解が、すべての応用の基盤になっていることがわかります。
2023年、イギリスでCRISPR-Cas9を用いた遺伝子治療薬「カスゲビー(Casgevy)」が世界で初めて承認されました。これは鎌状赤血球症およびベータサラセミアの治療薬であり、患者の造血幹細胞をex vivo(体外)でCRISPR-Cas9により編集し、胎児ヘモグロビンの発現を回復させるものです。ゲノム編集の臨床応用が現実のものとなった歴史的な一歩です。
次のセクションでは、本記事の内容が教科書の他のトピックとどのようにつながるかを整理します。
CRISPR-Cas9の分子機構は、分子生物学と遺伝学の多くの概念と結びついています。
それでは最後に、本記事の要点をまとめましょう。
Q1. Cas9がゲノムから標的を見つける際、最初に認識するのは何ですか。それをsgRNAが認識するのではなくCas9タンパク質自身が認識する理由は何ですか。
Q2. オフターゲット効果が起こる分子的原因を、R-loop形成の方向性と関連づけて説明してください。
Q3. NHEJとHDRの違いを、鋳型の有無・正確性・細胞周期の観点から述べてください。
Q4. 塩基編集がCRISPR-Cas9による通常のゲノム編集よりも安全性が高いとされる理由を、分子機構の違いに基づいて説明してください。
Cas9による標的DNA認識と切断の過程を、以下の語句をすべて用いて正しい順序で説明せよ。
【語句】sgRNA、PAM配列、R-loop、HNHドメイン、RuvCドメイン、二本鎖切断
Cas9はまずsgRNAと結合してリボ核タンパク質複合体を形成する。この複合体がDNA上のPAM配列(5'-NGG-3')をタンパク質-DNA相互作用で認識する。PAMが見つかると、その隣のDNA二本鎖がほどかれ、sgRNAのスペーサー領域と標的鎖の間でR-loopが形成される。R-loopが約20塩基にわたって完全に形成されると、HNHドメインが標的鎖を、RuvCドメインが非標的鎖をそれぞれ切断し、PAMから3塩基上流で二本鎖切断(DSB)が生じる。
PAM認識 → R-loop形成 → 二本鎖切断という順序が重要です。PAM認識はCas9タンパク質自身が行い、R-loop形成はsgRNA-DNA間の塩基対形成、切断はHNH・RuvCの2つのヌクレアーゼドメインが担当します。
ヒトゲノムの全塩基数を $3.0 \times 10^9$ 塩基対とする。PAM配列として5'-NGG-3'が出現する頻度を概算せよ。ただし、4種の塩基は等確率で出現すると仮定する。また、両方の鎖を考慮すること。
片方の鎖でNGGが出現する確率は、Nが任意(確率1)、Gが $1/4$、Gが $1/4$ なので、$1 \times 1/4 \times 1/4 = 1/16$。
片方の鎖あたりのPAM数:
$$3.0 \times 10^9 \times \frac{1}{16} = 1.875 \times 10^8 \approx 1.9 \times 10^8$$
相補鎖にもNGG(= 元の鎖のCCN)があるので、両方の鎖を合わせると約 $3.8 \times 10^8$ カ所、つまり約3億8千万カ所にPAMが存在する。
DNAは二本鎖なので、一方の鎖でNGGが出現する位置に加え、相補鎖でもNGGが出現する位置を考慮する必要があります(相補鎖のNGGは、元の鎖ではCCNに対応します)。約4億カ所ものPAMがあるにもかかわらず、その中から20塩基の配列照合でさらに絞り込むことで、高い標的特異性が実現されています。
ある研究者が、ヒト細胞の遺伝子Xに特定のアミノ酸置換(1塩基の変異)を導入したいと考えている。以下の2つの方法について、それぞれの利点と欠点を述べ、どちらがより適切か論じよ。
(a) CRISPR-Cas9によるDSB + HDRを用いる方法
(b) 塩基編集(ABEまたはCBE)を用いる方法
(a) CRISPR-Cas9 + HDR
利点:原理上、任意の塩基変化を導入できる。欠点:DSBが生じるためNHEJによるインデルが高頻度で発生し、目的のHDR産物の割合が低い。HDRはS/G2期のみ活性で、分裂しない細胞や分裂が遅い細胞では効率が極めて低い。また、外来の鋳型DNAを同時に導入する必要がある。
(b) 塩基編集
利点:DSBを起こさないためインデルのリスクが低く、効率が高い。外来鋳型DNAが不要。欠点:変換できる塩基の種類がCBE(C→T)またはABE(A→G)に限られる。標的の近くに別のCやAがあると、それも変換されてしまうバイスタンダー編集のリスクがある。また、標的配列の適切な位置にPAMが存在する必要がある。
結論:目的の変異がC→TまたはA→Gの変換で実現でき、標的近傍にPAMが存在する場合は、塩基編集のほうがDSBを伴わず安全性・効率ともに優れており、より適切である。それ以外の塩基変換が必要な場合やプライム編集が利用可能な場合は、プライム編集も有力な選択肢となる。
この問題のポイントは、DSBの有無がゲノム編集の安全性と効率に大きく影響するという点です。DSBはNHEJによるインデルだけでなく、まれに大規模な欠失や染色体転座を引き起こすこともあります。塩基編集やプライム編集がDSBを回避することの意義を、分子機構に基づいて論じることが重要です。
CRISPR-Cas9は細菌の適応免疫に由来するシステムである。細菌のCRISPR免疫では、自己のゲノム(CRISPRアレイ内のスペーサー配列)を攻撃しないための仕組みが必要である。PAM配列がこの「自己と非自己の識別」にどのように寄与しているか、以下の事実を踏まえて説明せよ。
事実1:細菌のCRISPRアレイでは、スペーサー配列の隣にPAM配列が存在しない。
事実2:侵入したファージのDNAでは、プロトスペーサー(スペーサーに対応する配列)の隣にPAM配列が存在する。
Cas9はDNAを切断する際、PAM配列の存在を必須条件としている。ファージDNA上ではプロトスペーサーの隣にPAMが存在するため、crRNAとの配列一致に加えてPAMも認識され、切断が起こる。一方、細菌自身のCRISPRアレイ内にあるスペーサー配列はcrRNAと完全に一致するが、その隣にPAM配列が存在しないため、Cas9は切断を行わない。このように、PAM配列はCas9の切断に必須の「鍵」として機能し、PAMがある(=外来DNA)かないか(=自己DNA)によって自己と非自己を識別する仕組みになっている。
PAMの生物学的意義は、ゲノム編集ツールとしてのPAMの制約(標的近くにNGGが必要)の根本的な理由でもあります。PAMは細菌が自己免疫を防ぐための安全装置として進化したものであり、この安全装置をゲノム編集にそのまま利用しているのです。免疫学でいう「自己と非自己の識別」が分子レベルでどのように実現されているかを考えることがポイントです。
研究者がヒト細胞の遺伝子Yにおいて、エクソン3の特定の位置にある配列5'-ATCGAATTCGGATGG-3'(太字がPAM)を標的としてCRISPR-Cas9によるノックアウトを行うことにした。以下の問いに答えよ。
(a) この標的に対するsgRNAのスペーサー領域(20塩基)の配列を5'→3'方向で書け。なお、sgRNAはPAMを含まず、標的鎖と同じ配列(ただしTをUに置換)を持つことに注意せよ。
(b) この研究者がオフターゲット効果を最小化するためにとるべき戦略を3つ挙げ、それぞれの分子的根拠を説明せよ。
(c) ノックアウトではなく、エクソン3の特定の1塩基(A→G)を変換したい場合、どのような技術を用いるべきか。その分子機構を簡潔に説明せよ。
(a) 標的鎖の配列(PAMを除く)は5'-ATCGAATTCGGA-3'だが、これは12塩基しか示されていない。sgRNAのスペーサーは通常20塩基なので、PAMの上流(5'側)20塩基を標的とする。示された配列を基にすると、PAM(TGG)の直前の配列を5'→3'方向で読み、TをUに置換したものがsgRNAのスペーサー配列となる。具体的には、標的鎖の配列がPAM直前まで5'-...AUCGAAUUCGGA-3'(RNA表記)であり、全20塩基が必要な場合はさらに上流の配列情報が必要である。示された12塩基分については5'-AUCGAAUUCGGA-3'がスペーサーの3'側の配列に対応する。
(b) オフターゲット効果を最小化する戦略:
(i) ゲノムワイドなオフターゲット予測ツールの使用:計算機でsgRNA配列とゲノム全体を照合し、特にシード領域(PAM近位8〜12塩基)が他の遺伝子座と一致しないsgRNAを選択する。分子的根拠:R-loopはPAM近位側から形成されるため、シード領域のミスマッチがあればR-loop形成が初期段階で阻害され、切断が防がれる。
(ii) 高忠実度Cas9変異体の使用:eSpCas9やHiFi Cas9など、PAM遠位側のミスマッチに対する寛容性を低下させた改変型Cas9を用いる。分子的根拠:これらの変異体はR-loop形成時のエネルギー閾値を高く設定してあり、不完全なR-loopでは構造変化(切断活性化)が起こりにくい。
(iii) Cas9タンパク質のRNP(リボ核タンパク質)導入:プラスミドではなく、精製Cas9タンパク質とsgRNAの複合体を直接細胞に導入する。分子的根拠:RNPは細胞内で速やかに分解されるため、Cas9の存在時間が短くなり、オフターゲット切断の機会が減少する。プラスミド導入では長期間Cas9が発現し続けるため、オフターゲットリスクが増大する。
(c) ABE(アデニン塩基エディター)を用いるべきである。ABEはニッカーゼCas9に人工アデノシンデアミナーゼを融合したもので、PAM認識とR-loop形成により標的部位に到達した後、DSBを起こさずにアデニン(A)をイノシン(I)に変換する。DNA複製時にIはグアニン(G)のようにシトシンと対合するため、結果としてA→Gの変換が実現される。DSBを伴わないためインデルのリスクが低く、一塩基の正確な変換に適している。
(a)はsgRNA設計の基本原理を問う問題です。sgRNAのスペーサーはPAMを含まず、標的鎖と同じ配列をRNA(U置換)で持つことに注意が必要です。(b)はオフターゲット効果の分子的原因(R-loop形成の方向性と非対称な寛容性)を理解した上で、それを抑制する合理的な戦略を論じる問題です。(c)は塩基編集の適用場面を判断し、その分子機構を説明できるかを問うています。