第10章 神経の生物物理学

筋収縮の分子力学
─ アクチン・ミオシンの力発生サイクル

高校生物では、筋収縮のしくみを「滑り説」として学びます。ミオシン頭部がアクチンフィラメントの上を滑ることでサルコメアが短縮し、筋肉が収縮する ── この描像は正しいのですが、ミオシン分子1つはいったいどれだけの力を発生しているのでしょうか。その力は何ピコニュートン(pN)で、1回のストロークで何ナノメートル(nm)動くのでしょうか。

大学の筋収縮研究は、ATPの加水分解エネルギーが分子モーターの力学的な仕事に変換される精巧なサイクルを明らかにしました。さらに、光ピンセットを使った1分子計測により、ミオシン1分子が発生する力と変位が直接測定されています。この記事では、高校の「滑り説」から出発し、力発生サイクルの分子メカニズム、1分子力学実験、そして筋肉全体の力学法則(ヒルの式)までを、一本の筋でつないでいきます。

1高校での扱い ── 滑り説とCa2+制御

高校生物で学ぶ筋収縮の知識を整理しましょう。骨格筋の筋繊維(筋細胞)には、サルコメア(筋節)と呼ばれる繰り返し構造があります。サルコメアの中には、太いフィラメント(ミオシンフィラメント)と細いフィラメント(アクチンフィラメント)が規則正しく配列しています。

滑り説

1954年、HuxleyとHansonが提唱した滑り説(sliding filament theory)によれば、筋収縮時にアクチンフィラメントとミオシンフィラメントの長さ自体は変わりません。ミオシン頭部がアクチンフィラメントに結合し、首を振る動作(パワーストローク)によってアクチンフィラメントをサルコメアの中央へ引き込み、サルコメアが短縮します。これが筋収縮の基本原理です。

Ca2+による制御

筋収縮は $\mathrm{Ca}^{2+}$ によって制御されています。安静時、アクチンフィラメント上にはトロポミオシンというタンパク質が巻きつき、ミオシン頭部の結合部位を覆い隠しています。神経からの興奮が筋小胞体に伝わると $\mathrm{Ca}^{2+}$ が放出され、これがアクチンフィラメント上のトロポニンに結合します。すると、トロポミオシンの位置がずれてミオシン結合部位が露出し、筋収縮が起こります。

高校ではここまでが限界です。「ミオシン頭部が首を振る」とは具体的にどういう分子運動なのか、ATPはこのサイクルのどこで使われるのか、そしてミオシン1分子が発生する力はどれほどなのか ── これらの問いに答えるには、分子レベルの力学に踏み込む必要があります。

2大学の視点 ── 分子モーターとしてのミオシン

高校 vs 大学:筋収縮の理解
高校:ミオシン頭部がアクチンの上を「滑る」(定性的描像)
大学:ATP加水分解に共役した4状態の力発生サイクルで力と変位を定量的に記述する
高校:ATPが筋収縮のエネルギー源(定性的理解)
大学:ATP 1分子の加水分解で約 $80 \sim 100 \, \mathrm{zJ}$(ゼプトジュール)の自由エネルギーが力学的仕事に変換される
高校:筋肉全体としての収縮現象(巨視的)
大学:光ピンセットで1分子の力(~2-4 pN)と変位(~5-10 nm)を直接測定する
ここが本質 ── ミオシンはATP駆動の分子モーターである

ミオシンは、ATPの加水分解エネルギーを力学的な仕事に変換する分子モーターです。ATP結合 → 解離 → 加水分解 → 再結合 → パワーストロークという一連のサイクルを通じて、1回あたり約 5 nm の変位と約 2-4 pN の力を発生します。

重要なのは、この変換が熱力学的に理解できる点です。ATP加水分解の自由エネルギー変化 $\Delta G \approx -50 \, \mathrm{kJ/mol}$(B-4-1参照)は、1分子あたり約 $83 \, \mathrm{zJ}$ に相当します。ミオシンの1ストロークの仕事(力 $\times$ 変位 $\approx 3 \, \mathrm{pN} \times 5 \, \mathrm{nm} = 15 \, \mathrm{zJ}$)は、このエネルギーの一部を力学的仕事として取り出したものであり、エネルギー変換効率は約 20-25% です。

では、この力発生サイクルの各ステップを分子レベルで追いかけてみましょう。次のセクションでは、ATPがどの段階で結合し、どの段階で加水分解され、そしてパワーストロークがいつ起こるのかを詳しく見ていきます。

3力発生サイクルの分子メカニズム

サイクルの全体像

ミオシンの力発生サイクル(クロスブリッジサイクルとも呼ばれます)は、ATP 1分子の加水分解に共役した4つの主要な状態から構成されます。それぞれの状態で、ミオシン頭部とアクチンの結合状態、そしてミオシンに結合しているヌクレオチドの種類が異なります。

4状態の力発生サイクル

状態1:硬直状態(rigor state)
ミオシン頭部がアクチンに強く結合しており、ヌクレオチドは結合していません。この状態は「硬直」状態と呼ばれ、死後硬直(rigor mortis)はまさにこの状態です。ATPが枯渇すると、ミオシンはアクチンから離れることができず、筋肉が硬くなります。

状態2:解離(ATP結合)
ATPがミオシン頭部のヌクレオチド結合部位に結合すると、ミオシンのアクチン親和性が劇的に低下し、ミオシンがアクチンから解離します。ATPはいわば「潤滑剤」の役割を果たし、ミオシンをアクチンから引き離します。

状態3:回復ストロークと加水分解(cocking)
アクチンから離れたミオシン頭部は、ATPを加水分解します($\mathrm{ATP} \to \mathrm{ADP} + \mathrm{P_i}$)。このとき、加水分解のエネルギーを使ってミオシン頭部の首振り部分(レバーアーム)が「後方」に倒れます。これを回復ストローク(recovery stroke)と呼びます。銃の撃鉄を起こす(cocking)ようなもので、エネルギーが構造変化として蓄えられた状態です。$\mathrm{ADP}$ と $\mathrm{P_i}$ はまだミオシンに結合したままです。

状態4:パワーストローク
回復ストローク後のミオシン頭部($\mathrm{ADP} \cdot \mathrm{P_i}$ 結合状態)が再びアクチンに結合すると、まず $\mathrm{P_i}$ が放出されます。この $\mathrm{P_i}$ の放出に伴って、レバーアームが「前方」に大きく振れます。これがパワーストローク(power stroke)であり、アクチンフィラメントをサルコメア中央方向へ約 5-10 nm 引き込みます。続いて $\mathrm{ADP}$ が放出され、再び状態1(硬直状態)に戻ります。

状態 ヌクレオチド アクチン結合 起こること
1. 硬直状態 なし 強い結合 サイクルの出発点
2. 解離 ATP 解離 ATP結合によりアクチンから離れる
3. 回復ストローク ADP + Pi 解離 ATP加水分解、レバーアームが後方へ
4. パワーストローク ADP → なし 強い結合 Pi放出、レバーアーム前方へ振れる
「ATP加水分解の瞬間に力が出る」は誤り

誤:ATPが加水分解される瞬間にパワーストロークが起こり、力が発生する

正:ATP加水分解はミオシンがアクチンから離れた状態(状態3)で起こり、エネルギーは構造変化として蓄えられる。力が発生するのは、ミオシンがアクチンに再結合した後の Pi 放出に伴うパワーストローク(状態4)である。エネルギーの蓄積と力の発生は時間的に分離している。

エネルギー変換の熱力学

このサイクルのエネルギー源はATPの加水分解です。B-4-1で学んだように、細胞内条件でのATP加水分解の自由エネルギー変化は $\Delta G \approx -50 \, \mathrm{kJ/mol}$ です。1分子あたりに換算すると、

$$\Delta G_{\text{1}} = \frac{50 \times 10^3 \, \mathrm{J/mol}}{6.02 \times 10^{23} \, \mathrm{mol}^{-1}} \approx 8.3 \times 10^{-20} \, \mathrm{J} = 83 \, \mathrm{zJ}$$

ここで zJ(ゼプトジュール)は $10^{-21} \, \mathrm{J}$ です。ミオシンの1ストロークの力学的仕事は力 $\times$ 変位ですから、力 3 pN、変位 5 nm とすると、

$$W = F \times d = 3 \times 10^{-12} \, \mathrm{N} \times 5 \times 10^{-9} \, \mathrm{m} = 15 \times 10^{-21} \, \mathrm{J} = 15 \, \mathrm{zJ}$$

したがって、エネルギー変換効率は $\eta = W / |\Delta G_{\text{1}}| \approx 15/83 \approx 0.18$、つまり約 18% です。実際の測定では条件によって 20-25% 程度の効率が報告されています。残りのエネルギーは熱として散逸します。激しい運動で体が温まるのは、まさにこの「使われなかったエネルギー」が熱になるためです。

力発生サイクルの分子メカニズムが明らかになりました。しかし、「ミオシン1分子が本当に数 pN の力を出している」ことは、どうやって実験的に証明されたのでしょうか。次のセクションでは、1990年代に革命をもたらした1分子力学実験について見ていきます。

41分子力学 ── 光ピンセットが明かしたミオシンの実力

なぜ1分子計測が必要だったか

筋肉全体やサルコメア全体の力を測定する実験は古くから行われていましたが、そこから得られる情報は多数のミオシン分子の「平均的な」ふるまいです。個々のミオシン分子が1回のパワーストロークで発生する力と変位を直接測定するには、1分子レベルの精密な実験系が必要でした。

光ピンセットの原理

光ピンセット(optical trap)は、集光したレーザー光で微小な粒子(直径 $0.5 \sim 1 \, \mu\mathrm{m}$ のビーズ)を捕捉し、その位置を制御する技術です。光の放射圧によって、ビーズはレーザーの焦点位置に引き寄せられます。この「光のバネ」の強さ(バネ定数 $k$、典型的には $0.01 \sim 0.1 \, \mathrm{pN/nm}$)は既知であるため、ビーズが焦点からずれた距離 $x$ を測定すれば、フックの法則($F = kx$)からビーズに加わっている力を求めることができます。

柳田敏雄らの実験

1990年代、大阪大学の柳田敏雄(Toshio Yanagida)らのグループは、光ピンセットを用いてミオシン1分子の力発生を直接測定する画期的な実験を行いました。

実験系は次のようなものです。アクチンフィラメントの両端に微小ビーズ(ハンドル)を結合させ、2本のレーザーで捕捉します(ダンベル配置)。一方、ガラス表面にはミオシン分子を固定しておきます。アクチンフィラメントをミオシンに近づけると、ミオシン頭部がアクチンに結合し、パワーストロークによってアクチンフィラメントが引かれます。この引きの力と距離を、ビーズの変位からナノメートル精度で測定します。

この実験で得られた主要な結果は次の通りです。

  • 1ステップの変位:約 5-10 nm(ATP 1分子の加水分解あたり)
  • 発生力:約 2-4 pN(無負荷条件でのストール力の推定値はさらに大きい)
  • ステップの離散性:連続的な滑りではなく、離散的な「ステップ」として力が発生する
1分子実験で力と変位をどう測定するか

変位の測定:光ピンセットで捕捉したビーズの位置を四分割フォトダイオードで検出します。ビーズの位置変化はナノメートル精度で追跡でき、ミオシンのパワーストロークによるアクチンフィラメントの移動を直接観察します。信号はノイズの中に離散的なステップとして現れます。

力の測定:ビーズが光トラップの中心からずれた距離 $x$ を測定し、トラップのバネ定数 $k$ を使って $F = kx$ から力を算出します。バネ定数は、ビーズのブラウン運動の分散を解析するか、流体力学的な較正によって事前に決定します。

ATP濃度の制御:ATP濃度を極端に下げると($\sim 1 \, \mu\mathrm{M}$ 程度)、ミオシンのサイクル速度が遅くなり、個々のパワーストロークを時間的に分離して観察できるようになります。

光ピンセットの発明者 Arthur Ashkin

光ピンセットの原理を確立したArthur Ashkinは、この業績により2018年にノーベル物理学賞を受賞しました(96歳での受賞は史上最高齢)。光ピンセットは筋収縮研究にとどまらず、キネシンやダイニンなどの分子モーター、DNAやRNAポリメラーゼの研究など、1分子生物物理学全体の基盤技術となっています。

1分子実験により、ミオシンの力発生が「離散的なステップ」であることが実証されました。しかし、筋肉が実際に力を発生する場面では、何億ものミオシン分子が協調して働きます。個々のミオシンの離散的な力発生が集積すると、筋肉全体としてどのような力学特性が現れるのでしょうか。次のセクションでは、筋肉の巨視的な力-速度関係を記述するヒルの式を導入します。

5筋肉の力学 ── ヒルの力-速度関係

等尺性収縮と等張性収縮

筋肉の力学特性を理解するために、まず2つの基本的な実験条件を区別しましょう。

等尺性収縮(isometric contraction):筋肉の長さを固定した状態で発生する力を測定します。筋肉は短くならないが力を出している状態で、重い荷物を持ち上げようとしてもびくともしないときに対応します。このとき測定される力が最大等尺性張力 $F_0$ です。

等張性収縮(isotonic contraction):筋肉にかかる負荷(力)を一定にして、短縮速度を測定します。軽い荷物は速く持ち上げられ、重い荷物はゆっくりしか持ち上げられない ── この日常的な経験が等張性収縮の力-速度関係に対応します。

ヒルの式

1938年、イギリスの生理学者 Archibald V. Hill(1922年ノーベル生理学・医学賞受賞)は、カエルの骨格筋を用いた等張性収縮実験から、力(負荷)$F$ と短縮速度 $v$ の関係を表す経験式を見出しました。

注意:このヒルの式は、B-3-3で学ぶヘモグロビンの協同結合を記述するヒル方程式(Hill equation)とは全く別の式です。Archibald V. Hillが提唱した筋力学の式であり、ヒル方程式のA.V. Hillとは同一人物ですが、対象が全く異なります。

ヒルの力-速度関係(Hill's force-velocity relation)

$$(F + a)(v + b) = (F_0 + a) \cdot b$$

$F$:筋肉にかかる負荷(力)、$v$:筋肉の短縮速度、$F_0$:最大等尺性張力($v = 0$ のときの力)、$a$, $b$:筋肉の種類によって決まる定数。$a$ は力の次元(N)、$b$ は速度の次元(m/s)を持つ。

この式の意味を読み解きましょう。

  • $F = 0$(無負荷)のとき:$v = v_{\max} = b(F_0 + a)/a - b = bF_0/a$。これが最大短縮速度です。
  • $v = 0$(等尺性収縮)のとき:$F = F_0$。筋肉は最大の力を発生しますが、短縮はしません。
  • 負荷 $F$ が増えると速度 $v$ は減少し、$F = F_0$ で $v = 0$ になります。

この力-速度関係は双曲線(矩形双曲線の一部)であり、ミカエリス・メンテン式の飽和曲線と数学的に同じ形をしています。ただし、ここでの独立変数は基質濃度ではなく負荷(力)であり、速度は酵素反応速度ではなく筋肉の短縮速度です。

パワー出力

筋肉が単位時間あたりに行う仕事(パワー)は $P = F \cdot v$ です。$F = 0$ では速度は最大ですがパワーはゼロ、$F = F_0$ では速度がゼロなのでやはりパワーはゼロです。パワーが最大になるのは中間の負荷であり、計算すると $F \approx 0.3 F_0$ 付近で最大パワーが得られます。

ヒルの式からの最大パワーの導出

ヒルの式を $v$ について解くと、

$$v = \frac{b(F_0 - F)}{F + a}$$

パワー $P = Fv$ は、

$$P = \frac{bF(F_0 - F)}{F + a}$$

$\mathrm{d}P/\mathrm{d}F = 0$ の条件から最適な負荷を求めると、

$$F_{\mathrm{opt}} = -a + \sqrt{a(a + F_0)}$$

典型的なカエル骨格筋では $a/F_0 \approx 0.25$ であり、これを代入すると $F_{\mathrm{opt}} \approx 0.31 F_0$ となります。つまり、最大張力の約3割の負荷で最もパワフルに仕事ができます。

ヒルの式の分子論的解釈

ヒルの式は経験式として提唱されましたが、クロスブリッジサイクルの分子モデルから導出することもできます。1957年、Andrew F. Huxley(滑り説のHugh E. Huxleyとは別人)は、ミオシンのクロスブリッジの結合・脱離速度が力に依存するというモデルから、ヒルの式に類似した力-速度関係を理論的に導きました。

直感的に理解すると、負荷が大きいほどパワーストローク後のミオシンの脱離が遅くなり(抵抗的なクロスブリッジが増える)、結果として短縮速度が低下します。無負荷では脱離が速やかに進むため、短縮速度は最大になります。

ヒルの式とミカエリス・メンテン式の数学的類似

ヒルの式 $(F + a)(v + b) = (F_0 + a)b$ を $v$ について解くと $v = b(F_0 - F)/(F + a)$ となります。一方、ミカエリス・メンテン式を $v = V_{\max}[\mathrm{S}]/(K_{\mathrm{m}} + [\mathrm{S}])$ と書くと、どちらも「直角双曲線」という同じ数学構造を持っています。生物学では、飽和現象を記述する場面で繰り返しこの数学構造が登場します。

ここまでで、分子1個の力発生サイクルから筋肉全体の力-速度関係まで、ミクロからマクロへの階層をつなぐことができました。次のセクションでは、この知見がどのように応用・発展しているかを見ていきましょう。

6応用・発展 ── 分子モーター研究の広がり

ミオシンだけではない分子モーター

ミオシンは分子モーターの代表格ですが、細胞内にはほかにも多くの分子モーターが存在します。キネシンは微小管の上を「歩く」モーターで、細胞内の物質輸送(小胞輸送や有糸分裂時の染色体移動)を担います。ダイニンも微小管モーターですが、キネシンとは逆方向に移動し、繊毛・鞭毛運動や逆行性軸索輸送に関与します。

これらの分子モーターはすべてATP加水分解を駆動力とし、力発生サイクルの基本原理(ヌクレオチド結合状態に応じた構造変化 → 力学的仕事)を共有しています。光ピンセットを用いた1分子実験は、これらすべてのモーターに適用され、それぞれの力と変位が定量的に明らかにされています。

分子モーター レール 1ステップの変位 発生力 主な機能
ミオシンII アクチン 5-10 nm 2-4 pN 筋収縮、細胞質分裂
ミオシンV アクチン 36 nm 2-3 pN 小胞輸送
キネシン-1 微小管 8 nm 5-7 pN 順行性軸索輸送
ダイニン 微小管 8-32 nm 1-7 pN 繊毛運動、逆行性輸送

心筋症と分子モーターの異常

筋収縮の分子機構の理解は、医学に直結しています。肥大型心筋症(HCM)は、心筋のミオシン重鎖やミオシン結合タンパク質Cの遺伝子変異によって引き起こされる疾患であり、若年者の突然死の主要な原因の一つです。変異ミオシンではパワーストロークの力や速度が変化し、心筋の過剰収縮を招くことが、1分子力学実験で直接示されています。

近年、この知見に基づいた治療薬として、心筋ミオシンの ATPase 活性を直接阻害するマバカムテン(mavacamten)が開発され、2022年にFDA承認を受けました。ミオシンの力発生サイクルの分子理解が、創薬のターゲットを直接提供した好例です。

ATP合成酵素 ── 回転する分子モーター

B-4-3で学ぶATP合成酵素($\mathrm{F_0F_1}$-ATPase)も分子モーターです。ただし、ミオシンが「直線運動」するのに対し、ATP合成酵素は「回転運動」をします。1997年、吉田賢右(けんすけ)と野地博行のグループは、$\mathrm{F_1}$サブユニットの回転を蛍光アクチンフィラメントを用いて直接可視化しました。この実験は、ATP加水分解が120度ずつの離散的な回転ステップに対応することを示した、1分子生物物理学の金字塔です。

分子モーターの研究は、筋収縮の理解という出発点から、細胞生物学、医学、ナノテクノロジーへと広がり続けています。次のセクションでは、本記事の内容が他のトピックとどうつながるかを整理します。

7つながりマップ

筋収縮の分子力学は、熱力学、1分子生物物理学、そして医学と多面的に結びついています。

  • B-4-1 自由エネルギーと代謝:ミオシンの力発生サイクルの駆動力は ATP 加水分解の自由エネルギー変化 $\Delta G$ です。ATP 1分子あたりの $\Delta G$ が力学的仕事の上限を決め、エネルギー変換効率の議論の基盤となります。
  • B-10-1 活動電位の数理:筋収縮は運動ニューロンからの活動電位によって引き起こされます。活動電位が筋繊維の細胞膜(筋鞘膜)を伝導し、T管を通じて筋小胞体から $\mathrm{Ca}^{2+}$ が放出されることで、トロポニン-トロポミオシン系を介した制御が開始されます。
  • B-3-2 酵素反応の数理:ミオシンは ATPase(ATP加水分解酵素)でもあります。ミオシンの ATPase 活性にもミカエリス・メンテン式が適用でき、$K_{\mathrm{m}}$(ATP に対する)や $k_{\mathrm{cat}}$(ターンオーバー数)で特性を記述できます。
  • B-11-1 ヘモグロビンの協同結合:ヘモグロビンが酸素を運搬して筋肉に供給し、ATP合成のための酸化的リン酸化を支えています。筋肉の酸素消費とヘモグロビンの酸素解離曲線は密接に関連しています。

それでは最後に、本記事の要点をまとめましょう。

Sまとめ
  • ミオシンは ATP 駆動の分子モーターであり、ATP結合 → 解離 → 加水分解(回復ストローク)→ アクチン再結合 → Pi 放出(パワーストローク)→ ADP 放出という4状態のサイクルで力を発生する。ATP加水分解と力発生は時間的に分離している。
  • 光ピンセットを用いた1分子実験により、ミオシン1分子が1回のパワーストロークで約 5-10 nm の変位と約 2-4 pN の力を発生することが直接測定された。柳田敏雄らの研究がこの分野を切り拓いた。
  • ATP 1分子の加水分解エネルギー(約 83 zJ)のうち、力学的仕事に変換されるのは約 15-20 zJ であり、エネルギー変換効率は約 20-25% である。残りは熱として散逸する。
  • ヒルの力-速度関係 $(F + a)(v + b) = (F_0 + a)b$ は、筋肉の負荷と短縮速度の関係を記述する経験式であり、クロスブリッジモデルから分子論的に導出できる。最大パワーは $F \approx 0.3 F_0$ 付近で得られる。
  • ミオシンの力発生サイクルの理解は、肥大型心筋症の分子病態の解明や、ミオシン阻害薬(マバカムテン)の開発など、医学への直接的な応用をもたらしている。

9確認テスト

理解度チェック

Q1. ミオシンの力発生サイクルにおいて、ATPの加水分解はどの段階で起こりますか。また、パワーストロークはどの段階で起こりますか。両者が時間的に分離している理由を説明してください。

クリックして解答を表示 ATPの加水分解は、ミオシンがアクチンから解離した状態(状態3)で起こり、そのエネルギーは回復ストロークとしてレバーアームの構造変化に蓄えられます。パワーストロークは、ミオシンがアクチンに再結合した後のPi放出に伴って起こります(状態4)。両者が分離しているのは、加水分解のエネルギーがいったん構造変化として蓄積(cocking)され、アクチン結合後に機械的仕事として放出されるという2段階の仕組みになっているためです。

Q2. 死後硬直(rigor mortis)が起こる理由を、力発生サイクルの観点から説明してください。

クリックして解答を表示 死後、ATPの供給が止まると、ミオシンはサイクルの状態1(硬直状態)で停止します。ATPがミオシンに結合しないため、ミオシンはアクチンから解離できず、すべてのクロスブリッジがアクチンに強く結合した状態で固定されます。これが筋肉の硬化(死後硬直)の原因です。ATPは「ミオシンをアクチンから外す潤滑剤」としても機能しているのです。

Q3. ミオシン1分子のパワーストロークの力学的仕事を約 15 zJ とすると、エネルギー変換効率は何%ですか。ATP加水分解の自由エネルギーを 83 zJ として計算してください。

クリックして解答を表示 $\eta = W / |\Delta G| = 15 \, \mathrm{zJ} / 83 \, \mathrm{zJ} \approx 0.18 = 18\%$。実際の測定では実験条件によって20-25%程度の効率が報告されていますが、いずれにしても残りの75-80%以上のエネルギーは熱として散逸します。

Q4. ヒルの力-速度関係において、最大パワーが最大張力 $F_0$ ではなく、その約30%の負荷で得られるのはなぜですか。

クリックして解答を表示 パワーは力 $\times$ 速度($P = Fv$)です。$F = F_0$(等尺性収縮)では力は最大ですが短縮速度 $v = 0$ なのでパワーはゼロです。$F = 0$(無負荷)では速度は最大ですが力がゼロなのでやはりパワーはゼロです。パワーは力と速度の積であるため、両者のバランスがとれる中間の負荷($F \approx 0.3 F_0$)で最大になります。これはヒルの式から数学的にも導くことができます。

10演習問題

問1 A 計算

ミオシン1分子がパワーストロークで $d = 6 \, \mathrm{nm}$ の変位を生じ、そのときの力が $F = 3 \, \mathrm{pN}$ であった。このパワーストローク1回の力学的仕事を zJ(ゼプトジュール)の単位で求めよ。また、細胞内条件での ATP 加水分解の自由エネルギーを $|\Delta G| = 83 \, \mathrm{zJ}$ として、エネルギー変換効率を求めよ。

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解答

$$W = F \times d = 3 \times 10^{-12} \, \mathrm{N} \times 6 \times 10^{-9} \, \mathrm{m} = 18 \times 10^{-21} \, \mathrm{J} = 18 \, \mathrm{zJ}$$

$$\eta = \frac{W}{|\Delta G|} = \frac{18}{83} \approx 0.22 = 22\%$$

解説

1 pN = $10^{-12}$ N、1 nm = $10^{-9}$ m ですので、pN $\times$ nm = $10^{-21}$ J = 1 zJ です。つまり「力(pN)$\times$ 変位(nm)」の数値がそのまま zJ の値になります。変換効率約22%は、残りの約78%のエネルギーが熱として散逸することを意味します。

問2 A 論述

力発生サイクルの4つの状態(硬直状態、ATP結合による解離、回復ストローク、パワーストローク)を順に説明し、各状態でのヌクレオチドの結合状態とアクチンとの関係を述べよ。

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解答

(1) 硬直状態:ヌクレオチドなし。ミオシンはアクチンに強く結合。

(2) ATP結合による解離:ATP結合。ミオシンのアクチン親和性が低下し、アクチンから解離。

(3) 回復ストローク:ATP → ADP + Pi に加水分解。ミオシンはアクチンから離れたまま、レバーアームが後方に倒れ、エネルギーが構造変化として蓄えられる。

(4) パワーストローク:ADP + Pi → ADP → ヌクレオチドなし。ミオシンがアクチンに再結合し、Pi 放出に伴いレバーアームが前方に振れる(パワーストローク)。続いて ADP が放出され、硬直状態に戻る。

解説

重要なポイントは、ATP加水分解(状態3)とパワーストローク(状態4)が分離していることです。加水分解のエネルギーは回復ストロークで構造変化として「蓄えられ」、アクチン再結合後に力学的仕事として「放出」されます。

問3 B 計算

ヒルの力-速度関係 $(F + a)(v + b) = (F_0 + a)b$ において、カエル骨格筋のパラメータが $F_0 = 20 \, \mathrm{N}$, $a = 5.0 \, \mathrm{N}$, $b = 0.40 \, \mathrm{m/s}$ であるとする。

(a) 最大短縮速度 $v_{\max}$($F = 0$ のとき)を求めよ。

(b) 負荷 $F = 10 \, \mathrm{N}$ のときの短縮速度 $v$ を求めよ。

(c) 負荷 $F = 10 \, \mathrm{N}$ のときのパワー $P = Fv$ を求めよ。

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解答

(a) $F = 0$ を代入:$(0 + 5.0)(v_{\max} + 0.40) = (20 + 5.0) \times 0.40 = 10$。$5.0(v_{\max} + 0.40) = 10$。$v_{\max} + 0.40 = 2.0$。$v_{\max} = 1.6 \, \mathrm{m/s}$。

(b) $F = 10$ を代入:$(10 + 5.0)(v + 0.40) = 10$。$15(v + 0.40) = 10$。$v + 0.40 = 0.667$。$v = 0.27 \, \mathrm{m/s}$。

(c) $P = Fv = 10 \times 0.27 = 2.7 \, \mathrm{W}$。

解説

負荷が $F_0$ の半分(10 N)に減ると、速度は $v_{\max}$(1.6 m/s)の約17%(0.27 m/s)にまで低下するわけではなく、負荷と速度の関係は直線的ではありません。これがヒルの式(双曲線的関係)の特徴です。パワー 2.7 W は $F = 0$($P = 0$)と $F = F_0$($P = 0$)の間の値であり、最大パワー付近にあたります。

問4 B 考察

光ピンセット実験において、ATP濃度を通常の細胞内濃度($\sim 5 \, \mathrm{mM}$)よりもはるかに低い $1 \, \mu\mathrm{M}$ 程度にする理由を、力発生サイクルの時間スケールを考慮して説明せよ。また、ATP濃度が非常に低いとき、観察されるステップの時間間隔はどのように変化するか述べよ。

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解答

通常の ATP 濃度($\sim 5 \, \mathrm{mM}$)では、ミオシンのサイクル速度は非常に速く(ターンオーバー約 10-20 s$^{-1}$)、個々のパワーストロークが時間的に重なって区別できない。ATP 濃度を $1 \, \mu\mathrm{M}$ 程度に下げると、ATP がミオシンに結合する頻度が律速段階となり、サイクルが大幅に遅くなる。その結果、個々のパワーストロークが十分な時間間隔で離散的に起こり、1つ1つのステップを時間的に分離して観察できるようになる。

ATP 濃度が非常に低いとき、ステップの時間間隔は ATP 濃度に反比例して長くなる。これは ATP のミオシンへの結合が二次反応(結合速度 $\propto$ [ATP])であり、平均待ち時間が $\propto 1/[\mathrm{ATP}]$ となるためである。

解説

この実験戦略は、「律速段階を意図的につくる」という1分子実験に共通の重要な手法です。ミカエリス・メンテン式の文脈で言えば、$[\mathrm{ATP}] \ll K_{\mathrm{m}}$ の条件では反応速度が ATP 濃度に比例し、サイクルの時間分解能が確保されます。

問5 C 発展

ヒルの力-速度関係から、パワー $P = Fv$ を $F$ の関数として表し、$\mathrm{d}P/\mathrm{d}F = 0$ の条件から最大パワーを与える負荷 $F_{\mathrm{opt}}$ を導出せよ。$a/F_0 = 0.25$ のとき、$F_{\mathrm{opt}}$ は $F_0$ の何倍になるか。

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解答

ヒルの式から $v = b(F_0 - F)/(F + a)$ であるから、

$$P = Fv = \frac{bF(F_0 - F)}{F + a}$$

$\mathrm{d}P/\mathrm{d}F = 0$ を求める。商の微分法を用いて、

$$\frac{\mathrm{d}P}{\mathrm{d}F} = b \cdot \frac{(F_0 - 2F)(F + a) - F(F_0 - F)}{(F + a)^2} = 0$$

分子 = 0 とすると、

$$(F_0 - 2F)(F + a) - F(F_0 - F) = 0$$

展開して、

$$F_0 F + F_0 a - 2F^2 - 2Fa - F \cdot F_0 + F^2 = 0$$

$$-F^2 - 2Fa + F_0 a = 0$$

$$F^2 + 2aF - aF_0 = 0$$

二次方程式の解の公式より($F > 0$ の解)、

$$F_{\mathrm{opt}} = \frac{-2a + \sqrt{4a^2 + 4aF_0}}{2} = -a + \sqrt{a^2 + aF_0} = -a + \sqrt{a(a + F_0)}$$

$a/F_0 = 0.25$、すなわち $a = 0.25 F_0$ を代入すると、

$$F_{\mathrm{opt}} = -0.25 F_0 + \sqrt{0.25 F_0 (0.25 F_0 + F_0)} = -0.25 F_0 + \sqrt{0.25 \times 1.25 \cdot F_0^2}$$

$$= -0.25 F_0 + F_0\sqrt{0.3125} = -0.25 F_0 + 0.559 F_0 = 0.309 F_0$$

したがって $F_{\mathrm{opt}} \approx 0.31 F_0$。最大パワーは最大張力の約31%の負荷で得られる。

解説

$P = Fv$ は $F = 0$ と $F = F_0$ でゼロになり、その間に極大を持つ上に凸の関数です。$a/F_0$ の比が小さいほど最適負荷は $F_0$ の小さい割合になり、大きいほど $F_0$ の大きい割合に近づきます。$a/F_0 \approx 0.25$ はカエル骨格筋の典型的な値であり、ヒトの骨格筋でもおおむね同程度です。この結果は、スポーツ科学やリハビリテーションにおいて、最大パワーを発揮するための最適負荷を定量的に予測する基盤となります。