高校生物の酸素解離曲線で、ヘモグロビンのグラフがS字型(シグモイド型)を描くことを学んだ人は多いでしょう。しかし、なぜS字型でなければならないのか、考えたことはあるでしょうか。実は、S字型の曲線は偶然の産物ではなく、「肺で効率よく酸素を取り込み、組織で効率よく酸素を放出する」ための設計上の必然です。この記事では、B-3-3で導入したヒルの式とMWCモデルをヘモグロビンに具体的に適用し、S字型曲線がいかにして酸素運搬の効率を最大化しているかを定量的に理解します。さらに、ボーア効果や2,3-BPGによる調節が、この設計をどのように微調整しているかを分子レベルで解き明かします。
高校生物で学ぶヘモグロビンの知識を整理しましょう。ヘモグロビンは赤血球に含まれる酸素運搬タンパク質で、4つのサブユニット($\alpha$ サブユニット2つと $\beta$ サブユニット2つ)からなる四量体です。各サブユニットには鉄を含むヘム基が1つあり、そこに酸素分子($\mathrm{O_2}$)が1つ結合できるため、ヘモグロビン1分子は最大4分子の酸素を運搬します。
横軸に酸素分圧($P_{\mathrm{O_2}}$)、縦軸に酸素飽和度($Y$)をとった酸素解離曲線は、ヘモグロビンの場合S字型(シグモイド型)を描きます。酸素分圧が低い領域ではヘモグロビンはなかなか酸素と結合しませんが、ある程度の酸素分圧を超えると急激に飽和度が上がります。これは、1つのサブユニットに酸素が結合すると、残りのサブユニットの酸素親和性が高くなるという協同結合(協同性)によるものです。
$\mathrm{CO_2}$ 濃度の上昇やpHの低下は、酸素解離曲線を右にシフトさせます。これをボーア効果と呼びます。活発に代謝する組織では $\mathrm{CO_2}$ が多く産生されpHが下がるため、ヘモグロビンの酸素親和性が低下して酸素を放出しやすくなります。逆に、肺では $\mathrm{CO_2}$ が排出されpHが上がるため、酸素と結合しやすくなります。
胎児ヘモグロビン($\mathrm{HbF}$)は、成人ヘモグロビン($\mathrm{HbA}$)に比べて酸素親和性が高く、酸素解離曲線が左にシフトしています。これにより、胎盤において母体の血液から胎児の血液へ酸素が効率よく受け渡されます。
高校ではこれらを定性的に理解しますが、「なぜS字型でなければ効率が悪いのか」「ボーア効果の分子的な実体は何か」「なぜ胎児ヘモグロビンは酸素親和性が高いのか」という問いには答えられません。次のセクションで、大学の生化学がこれらの問いにどう答えるかを見ていきましょう。
肺の酸素分圧(約100 mmHg)と組織の酸素分圧(約30 mmHg)の間で、できるだけ多くの酸素を受け渡すことが酸素運搬系の設計目標です。もし結合曲線が双曲線(ミオグロビン型)であれば、肺で取り込める量と組織で放出できる量の差は小さくなります。S字型曲線こそが、肺と組織の間の酸素分圧差をもっとも効率的に利用する形なのです。
この「設計」は進化が生み出しました。ヒルの式とMWCモデルは、その設計を数学の言葉で記述するための道具です。
では、S字型曲線がなぜ最適なのかを定量的に理解するために、まずヒルの式をヘモグロビンに適用するところから始めましょう。
B-3-3で導入したヒルの式を、ヘモグロビンの酸素結合に適用します。酸素飽和度 $Y$(全結合部位のうち酸素が結合している割合)は、酸素分圧 $P$ を用いて次のように表されます。
$$Y = \frac{P^{n_{\mathrm{H}}}}{K_{0.5}^{n_{\mathrm{H}}} + P^{n_{\mathrm{H}}}}$$
$Y$:酸素飽和度(0から1)、$P$:酸素分圧、$K_{0.5}$:半飽和時の酸素分圧($Y = 0.5$ となる $P$ の値、ヘモグロビンでは約26 mmHg)、$n_{\mathrm{H}}$:ヒル係数(協同性の指標)。
この式はB-3-2で学んだミカエリス・メンテン式 $v = V_{\max}[\mathrm{S}]/(K_{\mathrm{m}} + [\mathrm{S}])$ と形が似ています。実際、$n_{\mathrm{H}} = 1$ のときはミカエリス・メンテン式と同じ双曲線になります。$n_{\mathrm{H}} > 1$ のとき、曲線はS字型になり、$n_{\mathrm{H}}$ が大きいほどS字のシャープさが増します。
ヒル係数 $n_{\mathrm{H}}$ を実験データから求めるには、ヒルプロットを使います。ヒルの式を変形すると、次の式が得られます。
Step 1:ヒルの式から $Y/(1-Y)$ を求める。
$$\frac{Y}{1-Y} = \frac{P^{n_{\mathrm{H}}}}{K_{0.5}^{n_{\mathrm{H}}}}$$
Step 2:両辺の対数をとる。
$$\log\frac{Y}{1-Y} = n_{\mathrm{H}}\log P - n_{\mathrm{H}}\log K_{0.5}$$
横軸に $\log P$、縦軸に $\log[Y/(1-Y)]$ をとると、傾き $n_{\mathrm{H}}$ の直線が得られます。
ヘモグロビンの実験データをヒルプロットにすると、中央付近での傾きは約 2.8 です。この値がヘモグロビンのヒル係数 $n_{\mathrm{H}}$ です。
ヘモグロビンには結合部位が4つあるので、もし酸素結合が完全に協同的(all-or-none、全部位が同時に結合するか全く結合しないか)であれば $n_{\mathrm{H}} = 4$ になるはずです。一方、各部位が独立に結合するなら $n_{\mathrm{H}} = 1$ です。実測値 $n_{\mathrm{H}} = 2.8$ はこの中間にあり、次のことを意味します。
誤:ヒル係数 $n_{\mathrm{H}} = 2.8$ は、ヘモグロビンに結合部位が2.8個あることを意味する
正:ヒル係数は協同性の強さの指標であり、結合部位の数そのものではありません。ヘモグロビンの結合部位は4つですが、ヒル係数は2.8です。$n_{\mathrm{H}}$ の値は常に $1 \leq n_{\mathrm{H}} \leq$ 結合部位数 の範囲にあり、1に近いほど独立、結合部位数に近いほど完全に協同的です。
肺の酸素分圧は約100 mmHg、末梢組織の酸素分圧は約30 mmHgです。ヘモグロビン($K_{0.5} \approx 26$ mmHg, $n_{\mathrm{H}} = 2.8$)の場合、ヒルの式から計算すると次の値が得られます。
もしヘモグロビンが協同性を持たず $n_{\mathrm{H}} = 1$(ミオグロビンのような双曲線)だったらどうなるでしょうか。同じ $K_{0.5} = 26$ mmHg で計算すると、肺で $Y \approx 0.79$、組織で $Y \approx 0.54$ となり、$\Delta Y \approx 0.25$ しか放出できません。S字型の曲線は、同じ酸素分圧差の中で放出できる酸素量を約1.6倍に増やしているのです。
ヒルの式は酸素解離曲線の「形」を数値化する強力な道具ですが、分子レベルで「なぜ協同性が生じるのか」は説明しません。次のセクションでは、MWCモデルによってこの問いに答えます。
B-3-3で導入したMWCモデル(Monod-Wyman-Changeux モデル、1965年)を、ヘモグロビンに具体的に適用します。MWCモデルの核心は次の2点です。
ヘモグロビンの場合、酸素が結合していない状態(デオキシヘモグロビン)ではT状態が圧倒的に安定です。しかし、酸素が1つ結合すると、R状態の方がエネルギー的に有利になる方向にバランスが傾きます。酸素が2つ、3つと結合するにつれてR状態がますます安定になり、分子全体がT→Rに遷移します。
MWCモデルでは、ヘモグロビンの酸素結合を3つのパラメータで記述します。
$$L = \frac{[\mathrm{T}_0]}{[\mathrm{R}_0]} \quad(\approx 9000)$$
$L$:アロステリック定数。酸素非結合時のT状態とR状態の平衡比。$L$ が大きいほど、酸素が結合していない状態ではT状態が安定。
$$c = \frac{K_{\mathrm{R}}}{K_{\mathrm{T}}} \quad(\approx 0.01)$$
$c$:T状態とR状態の酸素親和性の比。$K_{\mathrm{R}}$ はR状態の酸素解離定数、$K_{\mathrm{T}}$ はT状態の酸素解離定数。$c < 1$ は、R状態の方が酸素親和性が高い(解離定数が小さい)ことを意味する。
$n = 4$:サブユニット数(結合部位の数)。
酸素分圧が低いとき($P$ が小さい)、ヘモグロビンはほぼT状態にあり、酸素親和性が低いため飽和度はゆっくりしか上がりません。酸素分圧が上昇して酸素が1〜2個結合すると、T→Rの遷移が加速されます。R状態に遷移したヘモグロビンは残りの結合部位の親和性が跳ね上がるため、飽和度が急上昇します。これがS字型曲線の正体です。
MWCモデルの飽和度の式は次の通りです($\alpha = P/K_{\mathrm{R}}$ とおく)。
$$Y = \frac{Lc\alpha(1 + c\alpha)^{n-1} + \alpha(1 + \alpha)^{n-1}}{L(1 + c\alpha)^n + (1 + \alpha)^n}$$
この式はヒルの式に比べると複雑ですが、その代わりに協同性が生じるメカニズム(T→R遷移)を明示的に含んでいます。$L$(T状態の安定性)と $c$(R状態の親和性の優位性)を変えることで、S字型の鋭さを自在に制御できるのです。
X線結晶構造解析により、T状態とR状態の構造の違いが原子レベルで明らかになっています。T状態では $\alpha_1\beta_2$ 界面のサブユニット間に塩橋(イオン結合)が多数形成されており、これがタンパク質全体を「緊張」させています。酸素がヘムの鉄に配位すると、鉄原子がポルフィリン環の面内に引き込まれ、これに連結したヒスチジン残基が移動し、サブユニット間の界面構造が変化します。その結果、塩橋が切れてR状態への遷移が促進されます。この「鉄原子の移動 → ヒスチジンの移動 → サブユニット界面の変化」という連鎖が、協同性の構造的基盤です。
MWCモデルにより、協同結合の分子メカニズムが理解できました。次のセクションでは、ボーア効果と2,3-BPGがこのT-R平衡をどのように調節しているかを、分子レベルで見ていきます。
高校で学んだ「pHが下がると酸素解離曲線が右にシフトする」というボーア効果の分子的な実体は何でしょうか。鍵となるのは、$\beta$ サブユニットのC末端にあるヒスチジン146残基(His146、HC3とも呼ばれる)です。
ヒスチジンの側鎖イミダゾール基の $\mathrm{p}K_a$ は約6.5であり、生理的pH(7.4)付近での微小なpH変化に対して敏感に応答します。具体的には、次のメカニズムで酸素親和性が調節されます。
つまり、ボーア効果の本質は「$\mathrm{H^+}$ がT状態を安定化するアロステリックエフェクターとして機能する」ということです。MWCモデルの言葉で言えば、pHの低下は $L$ の値を増大させ、S字型曲線を右にシフトさせます。
$\mathrm{H^+}$、$\mathrm{CO_2}$、2,3-BPGはいずれもT状態を安定化するアロステリックエフェクターです。これらはMWCモデルのアロステリック定数 $L$ を増大させることで酸素親和性を低下させます。酸素解離曲線の右シフトは、$L$ の増大としてモデル内で統一的に理解できるのです。
$\mathrm{CO_2}$ はpHの低下を介する間接的な効果に加えて、ヘモグロビンに直接結合する経路も持っています。$\mathrm{CO_2}$ は各サブユニットのN末端アミノ基と反応してカルバメートを形成します。
$$\mathrm{R{-}NH_2 + CO_2 \rightleftharpoons R{-}NH{-}COO^- + H^+}$$
カルバメート基は負電荷を帯びており、T状態における $\alpha_1\beta_2$ 界面の正電荷を帯びたアミノ酸残基と塩橋を形成してT状態を安定化します。つまり $\mathrm{CO_2}$ は、pH低下による間接的な効果と、カルバメート形成による直接的な効果の二重のメカニズムでボーア効果に寄与しています。
2,3-ビスホスホグリセリン酸(2,3-BPG、2,3-ジホスホグリセリン酸とも呼ばれる)は、赤血球に高濃度(約5 mM、ヘモグロビンとほぼ等モル)で存在する代謝産物です。2,3-BPGは解糖系の中間体から合成されます。
2,3-BPGはヘモグロビンの四量体の中央にある空洞(中央空洞)に結合します。ここが重要な点ですが、この空洞はT状態でのみ十分な大きさを持ちます。R状態ではサブユニット間の配置が変化して空洞が狭くなり、2,3-BPGが入れなくなります。
2,3-BPGは5つの負電荷を持ち、中央空洞内の $\beta$ サブユニット由来の正電荷を持つ残基(His2、Lys82、His143)とイオン結合を形成します。これによりT状態が安定化され、酸素親和性が低下します。
| アロステリックエフェクター | 結合部位 | 効果 | MWCモデルでの解釈 |
|---|---|---|---|
| $\mathrm{H^+}$(プロトン) | His146($\beta$ サブユニット) | T状態安定化 → 酸素放出促進 | $L$ を増大 |
| $\mathrm{CO_2}$ | N末端アミノ基(カルバメート形成) | T状態安定化 → 酸素放出促進 | $L$ を増大 |
| 2,3-BPG | 中央空洞(T状態のみ) | T状態安定化 → 酸素放出促進 | $L$ を増大 |
胎児ヘモグロビン($\mathrm{HbF}$, $\alpha_2\gamma_2$)は $\beta$ サブユニットの代わりに $\gamma$ サブユニットを持ちます。$\gamma$ サブユニットでは、$\beta$ サブユニットのHis143に対応する位置がセリン(Ser)に置換されています。セリンの側鎖は正電荷を持たないため、2,3-BPGとのイオン結合が弱くなります。
その結果、$\mathrm{HbF}$ は2,3-BPGによるT状態の安定化効果が弱く($L$ が小さく)、酸素親和性が $\mathrm{HbA}$ より高くなります。これが酸素解離曲線の左シフトの分子的理由です。胎盤では母体の $\mathrm{HbA}$ が酸素を放出し、その酸素を $\mathrm{HbF}$ が受け取るという効率的な受け渡しが実現します。
ここまでで、ヘモグロビンの酸素結合を制御するアロステリック効果の分子機構を理解しました。次のセクションでは、ミオグロビンとの比較を通じて、この設計の生理的な意義をさらに掘り下げます。
ミオグロビンは筋肉中に存在する酸素結合タンパク質で、ヘモグロビンと同じヘム基を持ちますが、単量体(サブユニット1つ)です。結合部位が1つしかないため、協同性を示すことができず、酸素解離曲線は $n_{\mathrm{H}} = 1$ の双曲線になります。
ミオグロビンの $K_{0.5}$ は約 2.8 mmHg であり、ヘモグロビン(約26 mmHg)よりはるかに酸素親和性が高いです。この設計の違いには明確な理由があります。
組織の酸素分圧(約30 mmHg)において、ヘモグロビンの飽和度は約57%(酸素を手放し始める)ですが、ミオグロビンの飽和度は約91%(まだしっかり保持している)です。これにより、ヘモグロビンが放出した酸素をミオグロビンが確実に受け取るというリレーが成立します。
誤:ミオグロビンの方が酸素親和性が高いので、酸素運搬にも優れている
正:酸素親和性が高すぎると、組織で酸素を放出できません。ヘモグロビンのS字型曲線と中程度の親和性は、「取り込みと放出の両方」に最適化された設計です。ミオグロビンの高親和性は「貯蔵」に特化した別の最適解です。
$\beta$ サブユニットの6番目のアミノ酸がグルタミン酸(親水性、負電荷)からバリン(疎水性)に変異したヘモグロビンが $\mathrm{HbS}$ です。この変異は酸素結合の性質自体にはほとんど影響しませんが、デオキシ状態(T状態)で $\mathrm{HbS}$ 分子同士が疎水性相互作用により重合して長い線維を形成し、赤血球を鎌状に変形させます。
MWCモデルの観点からは、T状態の安定性($L$)を変えるような介入が治療標的になります。実際に、鎌状赤血球症の治療薬ボキセロトール(voxelotor)は、ヘモグロビンのN末端バリンに共有結合してR状態を安定化し、$\mathrm{HbS}$ の重合を抑制します。これはまさにMWCモデルの $L$ を減少させる(R状態を有利にする)分子設計の医学的応用です。
高地に住む民族(チベット人、アンデスのケチュア人など)は、低酸素環境に適応した遺伝的変異を持っています。チベット人では、EPAS1遺伝子(低酸素応答に関与する転写因子HIF-2$\alpha$ をコードする)の変異が見つかっており、赤血球数の過剰な増加を防ぎつつ酸素運搬効率を維持しています。また、2,3-BPGの産生量を調節する遺伝的変異も報告されています。これらは、本記事で学んだアロステリック調節の仕組みが自然選択によって微調整されてきた実例です。
ヘモグロビンの協同結合と多層的なアロステリック調節は、進化が最適化した分子設計の傑作です。次のセクションでは、本記事の内容が他のトピックとどのようにつながるかを整理します。
ヘモグロビンの協同結合は、タンパク質科学・代謝・生理学の結節点に位置します。以下のトピックと密接に関連しています。
それでは最後に、本記事の要点をまとめましょう。
Q1. ヘモグロビンのヒル係数 $n_{\mathrm{H}} \approx 2.8$ が意味するところを、$n_{\mathrm{H}} = 1$ の場合および $n_{\mathrm{H}} = 4$ の場合と比較して説明してください。
Q2. MWCモデルにおいて、$\mathrm{H^+}$・$\mathrm{CO_2}$・2,3-BPGはいずれも同じ方向にアロステリック定数 $L$ を変化させます。それはどちらの方向ですか。また、それが酸素解離曲線に与える影響を説明してください。
Q3. 胎児ヘモグロビン($\mathrm{HbF}$)の酸素親和性が成人ヘモグロビン($\mathrm{HbA}$)より高い理由を、2,3-BPGとの結合の違いから分子レベルで説明してください。
Q4. ミオグロビンの酸素解離曲線は双曲線で、ヘモグロビンはS字型です。この違いが「酸素の運搬」と「酸素の貯蔵」というそれぞれの役割にどのように適しているか説明してください。
ヘモグロビンのヒル係数を $n_{\mathrm{H}} = 2.8$、半飽和酸素分圧を $K_{0.5} = 26$ mmHg とする。酸素分圧 $P = 40$ mmHg のとき、酸素飽和度 $Y$ を求めよ。ただし、$40^{2.8} \approx 3.66 \times 10^4$、$26^{2.8} \approx 9.88 \times 10^3$ として計算せよ。
$$Y = \frac{P^{n_{\mathrm{H}}}}{K_{0.5}^{n_{\mathrm{H}}} + P^{n_{\mathrm{H}}}} = \frac{3.66 \times 10^4}{9.88 \times 10^3 + 3.66 \times 10^4} = \frac{3.66 \times 10^4}{4.65 \times 10^4} \approx 0.79$$
酸素飽和度は約 79% です。
ヒルの式に値を代入する基本的な計算問題です。$P = 40$ mmHg は $K_{0.5} = 26$ mmHg より高いため、飽和度は50%を超えます。S字型曲線の急上昇部分にあたるため、$K_{0.5}$ の約1.5倍の酸素分圧で飽和度が79%に達しています。
ヒルプロットにおいて、横軸に $\log P$、縦軸に $\log[Y/(1-Y)]$ をとると、$Y = 0.5$ のときの $\log P$ の値が $\log K_{0.5}$ になることをヒルの式から示せ。
ヒルの式より、$Y/(1-Y) = P^{n_{\mathrm{H}}}/K_{0.5}^{n_{\mathrm{H}}}$ です。$Y = 0.5$ のとき、$Y/(1-Y) = 1$ なので、
$$1 = \frac{P^{n_{\mathrm{H}}}}{K_{0.5}^{n_{\mathrm{H}}}} \implies P^{n_{\mathrm{H}}} = K_{0.5}^{n_{\mathrm{H}}} \implies P = K_{0.5}$$
両辺の対数をとると $\log P = \log K_{0.5}$ です。よって、ヒルプロットで $\log[Y/(1-Y)] = 0$(縦軸がゼロ)となる横軸の値が $\log K_{0.5}$ です。
ヒルプロットの横軸の切片(縦軸 = 0 の点)から $K_{0.5}$ を読み取れるという重要な性質です。これはミカエリス・メンテン式において $[\mathrm{S}] = K_{\mathrm{m}}$ のとき $v = V_{\max}/2$ となることの一般化です。
以下の条件でヘモグロビンとミオグロビンの酸素飽和度を比較せよ。
ヘモグロビン:$K_{0.5} = 26$ mmHg, $n_{\mathrm{H}} = 2.8$
ミオグロビン:$K_{0.5} = 2.8$ mmHg, $n_{\mathrm{H}} = 1$
(a) 肺($P = 100$ mmHg)での各タンパク質の $Y$ を求めよ。ただし $100^{2.8} \approx 3.98 \times 10^5$, $26^{2.8} \approx 9.88 \times 10^3$ とせよ。
(b) 組織($P = 30$ mmHg)での各タンパク質の $Y$ を求めよ。ただし $30^{2.8} \approx 1.47 \times 10^4$ とせよ。
(c) 肺と組織の間で放出される酸素の割合 $\Delta Y$ を両者で比較し、それぞれの生理的役割との関係を論じよ。
(a) 肺($P = 100$ mmHg)
ヘモグロビン:$Y = 3.98 \times 10^5 / (9.88 \times 10^3 + 3.98 \times 10^5) = 3.98 \times 10^5 / 4.08 \times 10^5 \approx 0.98$
ミオグロビン:$Y = 100/(2.8 + 100) = 100/102.8 \approx 0.97$
(b) 組織($P = 30$ mmHg)
ヘモグロビン:$Y = 1.47 \times 10^4 / (9.88 \times 10^3 + 1.47 \times 10^4) = 1.47 \times 10^4 / 2.46 \times 10^4 \approx 0.60$
ミオグロビン:$Y = 30/(2.8 + 30) = 30/32.8 \approx 0.91$
(c)
ヘモグロビン:$\Delta Y = 0.98 - 0.60 = 0.38$(全容量の38%を放出)
ミオグロビン:$\Delta Y = 0.97 - 0.91 = 0.06$(全容量の6%しか放出しない)
ヘモグロビンの $\Delta Y$ はミオグロビンの約6倍です。ヘモグロビンのS字型曲線は、肺と組織の酸素分圧差を利用して大量の酸素を運搬・放出することに最適化されています。一方ミオグロビンは高親和性のため、組織の酸素分圧でもほぼ飽和しており、酸素を保持し続けます。ミオグロビンが酸素を放出するのは、筋肉が激しく活動して酸素分圧が極端に低下(数mmHg以下)した場合に限られ、これは「酸素貯蔵庫」としての役割に合致しています。
高地(標高4000 m、肺胞酸素分圧が約50 mmHg)に移住したヒトの体内では、数日以内に赤血球中の2,3-BPG濃度が上昇する。
(a) 2,3-BPG濃度の上昇がヘモグロビンの酸素解離曲線に与える影響を、MWCモデルの用語($L$, T状態, R状態)を用いて説明せよ。
(b) この変化は高地環境での酸素供給にどのように有利に働くか。「肺での取り込み」と「組織での放出」の両面から論じよ。
(a) 2,3-BPGはT状態の中央空洞に結合してT状態を安定化するため、アロステリック定数 $L = [\mathrm{T}_0]/[\mathrm{R}_0]$ が増大する。これにより酸素親和性が低下し、酸素解離曲線が右にシフトする。
(b) 高地では肺胞酸素分圧が低い(約50 mmHg)ため、S字型曲線の急勾配部分が肺の酸素分圧付近にくるように右にシフトさせると、肺での取り込みは若干低下するが、組織での放出効率は大幅に向上する。具体的には、右シフトにより組織の酸素分圧(約30 mmHg)での飽和度が低下するため、肺と組織の間の $\Delta Y$ が増大し、同じ量の血液でより多くの酸素を組織に供給できる。肺での取り込み低下よりも組織での放出増加の方が全体としての酸素供給に有利に働く。
2,3-BPGの増加は一見すると酸素親和性を下げるため「不利」に思えますが、高地では肺での酸素分圧が低いため、取り込み量の低下は限定的です。一方、組織での放出量は大幅に増えるため、全体としては酸素供給が改善します。これは、S字型曲線の急勾配部分をどこに配置するかという「チューニング」の問題であり、2,3-BPGはそのチューニングを行うノブの役割を果たしています。
MWCモデルにおいて、リガンド(酸素)濃度がゼロのときのR状態の存在比 $f_{\mathrm{R}}(0)$ と、リガンドが飽和量存在するときの $f_{\mathrm{R}}(\infty)$ を以下の手順で求めよ。
(a) リガンド非結合時、全分子に対するR状態の分子の割合 $f_{\mathrm{R}}(0)$ を $L$ で表せ。ヘモグロビンの $L \approx 9000$ のとき、$f_{\mathrm{R}}(0)$ はおよそいくらか。
(b) MWCモデルにおいて $c \ll 1$ とすると、十分高いリガンド濃度では実質的にR状態のみがリガンドと結合していると近似できる。この場合、$f_{\mathrm{R}}(\infty)$ はいくらに近づくか。
(c) (a)と(b)の結果から、「酸素結合によるT→R遷移」の劇的さを定量的に論じよ。
(a) リガンド非結合時、T状態の分子数は $[\mathrm{T}_0]$、R状態は $[\mathrm{R}_0]$ であり、$L = [\mathrm{T}_0]/[\mathrm{R}_0]$ なので、
$$f_{\mathrm{R}}(0) = \frac{[\mathrm{R}_0]}{[\mathrm{T}_0] + [\mathrm{R}_0]} = \frac{1}{L + 1}$$
$L = 9000$ のとき、$f_{\mathrm{R}}(0) = 1/9001 \approx 1.1 \times 10^{-4}$(約0.01%)。
(b) $c \ll 1$ では、T状態はリガンドとほとんど結合できないため、高リガンド濃度ではR状態の分子のみがリガンドと結合して安定化される。リガンド飽和時にはほぼすべての分子がR状態になるので、$f_{\mathrm{R}}(\infty) \approx 1$(100%)。
(c) 酸素非結合時にはR状態がわずか0.01%しか存在しないのに対し、酸素飽和時にはほぼ100%がR状態になる。つまり酸素結合により、R状態の存在比は約10,000倍に増大する。この劇的なT→R遷移こそが、S字型曲線の分子的実体であり、わずかな酸素分圧の変化に対して協同的な応答を可能にしている。
この問題は、MWCモデルの本質を突いています。デオキシヘモグロビン(酸素非結合)のほぼ100%がT状態にあるのに対し、オキシヘモグロビン(酸素飽和)のほぼ100%がR状態にあります。つまり、酸素結合に伴い $L_{\mathrm{eff}}$(実効的なアロステリック定数)が $9000$ からほぼ $0$ に変化するのと同等です。酸素はR状態に優先的に結合するため、R状態が安定化され、分子全体のT→R遷移が引き起こされます。これが「最初の酸素が結合すると後の酸素が結合しやすくなる」という協同性の定量的な説明です。