高校生物では、光合成の明反応で「光化学系II → 電子伝達系 → 光化学系I」の順に電子が流れ、水が分解されて $\mathrm{NADPH}$ が生成されると学びます。
しかし、なぜ光化学系は2つ必要なのでしょうか。なぜ水という極めて安定な分子を分解できるのでしょうか。
そして、なぜ「II → I」という一見逆の順番なのでしょうか。
これらの疑問に答える鍵が酸化還元電位(標準還元電位 $E^{\circ\prime}$)です。
縦軸に酸化還元電位をとって光合成の電子伝達を描くと、電子がZ字型の経路を辿ることが見えてきます。
このZ-スキーム図を読み解けば、2段階の光反応が必要な熱力学的理由、水を分解するために必要なエネルギーの大きさ、そして $\Delta G = -nF\Delta E^{\circ\prime}$ の関係を通じて光合成全体のエネルギー収支が定量的に理解できます。
高校生物で学ぶ光合成の明反応を整理しましょう。光合成は、チラコイド膜で行われる明反応(光化学反応)と、ストロマで行われるカルビン回路の2段階に分けられます。
チラコイド膜には2種類の光化学系が存在します。光化学系II(PSII)の反応中心クロロフィルは波長 680 nm の光を最もよく吸収するため P680 と呼ばれ、光化学系I(PSI)の反応中心クロロフィルは波長 700 nm の光を最もよく吸収するため P700 と呼ばれます。
電子の流れは次の通りです。まず PSII で水($\mathrm{H_2O}$)が分解されて電子が取り出されます。この電子は PSII の反応中心で光エネルギーを受け取って高エネルギー状態になり、電子伝達系を経て PSI に渡されます。途中でプロトン($\mathrm{H^+}$)がチラコイド内腔に汲み上げられ、$\mathrm{H^+}$ の濃度勾配が形成されます。PSI でふたたび光エネルギーを受け取った電子は、最終的に $\mathrm{NADP^+}$ を還元して $\mathrm{NADPH}$ を生成します。
水の光分解は次の式で表されます。
$$2\mathrm{H_2O} \longrightarrow \mathrm{O_2} + 4\mathrm{H^+} + 4e^-$$
放出された $\mathrm{O_2}$ は大気中に放出され、$\mathrm{H^+}$ はチラコイド内腔の $\mathrm{H^+}$ 濃度勾配に加算されます。この $\mathrm{H^+}$ 濃度勾配を駆動力として、ATP 合成酵素が $\mathrm{ADP} + \mathrm{P_i}$ から $\mathrm{ATP}$ を合成します。これは B-4-3 で学んだ化学浸透圧説そのものです。
高校ではここまでを「電子の流れ」の図として理解しますが、次のような疑問には答えられません。なぜ光化学系は2つ必要なのか。1つの光化学系で水から $\mathrm{NADPH}$ まで一気に電子を運べないのか。そして、なぜ水のように安定な分子から電子を引き抜くことができるのか。次のセクションで、これらの疑問に答える道具を導入します。
光合成の電子伝達を酸化還元電位の縦軸で描くと、電子は2回の「光による跳び上げ」と、その間の「坂を下る」区間を経てZ字型の軌跡を描きます。このZ-スキーム図こそが、光合成の電子伝達の全体像を一目で理解させてくれる最強のツールです。
そしてこの図を定量的に読み解く鍵が、B-4-1 で学んだ自由エネルギー変化 $\Delta G$ と酸化還元電位 $E^{\circ\prime}$ をつなぐ関係式 $\Delta G = -nF\Delta E^{\circ\prime}$ です。この式により、「電子が電位の高い方から低い方へ流れると $\Delta G < 0$ で自発的」という直感が定量化されます。
では、酸化還元電位とは何か、そしてそれが自由エネルギーとどう結びつくのかを、基礎から丁寧に見ていきましょう。
酸化還元反応とは、ある物質から別の物質へ電子が移動する反応です。電子を失う側が「酸化される」、電子を受け取る側が「還元される」と表現します。しかし、電子はどの方向にでも勝手に移動するわけではありません。電子を受け取りやすい物質(酸化力が強い物質)に向かって移動する傾向があります。この「電子を受け取りやすさ」を数値化したものが標準還元電位 $E^{\circ\prime}$ です。
標準還元電位は、ある物質の半反応(還元方向の反応)について定義されます。たとえば、
$$\mathrm{NAD^+} + 2\mathrm{H^+} + 2e^- \longrightarrow \mathrm{NADH} + \mathrm{H^+}$$
この半反応の標準還元電位は $E^{\circ\prime} = -0.32$ V です。ここで「$\prime$」は生化学の標準条件(pH 7.0、25 ℃、各溶質 1 M)を意味します。
$E^{\circ\prime}$ の値が大きい(正の方向に大きい)ほど、その物質は電子を受け取りやすい、つまり酸化力が強いことを意味します。逆に、$E^{\circ\prime}$ が小さい(負の方向に大きい)ほど、電子を放出しやすい、つまり還元力が強いことを意味します。
代表的な半反応の $E^{\circ\prime}$ を表にまとめます。
| 半反応(還元方向) | $E^{\circ\prime}$ (V) |
|---|---|
| $\mathrm{O_2} + 4\mathrm{H^+} + 4e^- \to 2\mathrm{H_2O}$ | $+0.82$ |
| $\mathrm{Cyt\,}c\,(\mathrm{Fe^{3+}}) + e^- \to \mathrm{Cyt\,}c\,(\mathrm{Fe^{2+}})$ | $+0.25$ |
| $\mathrm{UQ} + 2\mathrm{H^+} + 2e^- \to \mathrm{UQH_2}$ | $+0.04$ |
| $\mathrm{FAD} + 2\mathrm{H^+} + 2e^- \to \mathrm{FADH_2}$ | $-0.22$ |
| $\mathrm{NAD^+} + \mathrm{H^+} + 2e^- \to \mathrm{NADH}$ | $-0.32$ |
| $\mathrm{Fd}\,(\mathrm{Fe^{3+}}) + e^- \to \mathrm{Fd}\,(\mathrm{Fe^{2+}})$(フェレドキシン) | $-0.43$ |
| $\mathrm{P680^*}$(光励起状態) | 約 $-0.8$ |
| $\mathrm{P700^*}$(光励起状態) | 約 $-1.3$ |
この表を見ると、$\mathrm{O_2}/\mathrm{H_2O}$($+0.82$ V)は極めて強い酸化剤であり、$\mathrm{NADH}$($-0.32$ V)は強い還元剤であることがわかります。呼吸の電子伝達系では、$\mathrm{NADH}$ から $\mathrm{O_2}$ へ電子が「坂を下る」ように流れていきます。
B-4-1 で学んだ $\Delta G$(ギブス自由エネルギー変化)と酸化還元電位 $E^{\circ\prime}$ は、次の式で結びつきます。
$$\Delta G^{\circ\prime} = -nF\Delta E^{\circ\prime}$$
$n$:反応で移動する電子の数(モル数)。$F$:ファラデー定数($96{,}485$ J/(V$\cdot$mol)、1 mol の電子が持つ電荷量)。$\Delta E^{\circ\prime} = E^{\circ\prime}_{\text{(acceptor)}} - E^{\circ\prime}_{\text{(donor)}}$:電子受容体の還元電位から電子供与体の還元電位を引いた値。
この式の意味を直感的に理解しましょう。$\Delta E^{\circ\prime} > 0$(電子受容体の方が還元電位が高い=電子を受け取りやすい)のとき、$\Delta G^{\circ\prime} < 0$ となり、反応は自発的に進みます。つまり、電子は $E^{\circ\prime}$ が低い物質から高い物質へと自然に流れるのです。これは水が高いところから低いところへ流れるのと同じ原理です。ただし電子の場合は「$E^{\circ\prime}$ が低い=エネルギーが高い」なので、電子はエネルギーが高い方から低い方へ流れることになります。
混乱しやすい点:酸化還元電位 $E^{\circ\prime}$ が正に大きいほど電子を受け取りやすい(酸化力が強い)。しかしそれは、電子がそこに落ちた後のエネルギーが低いことを意味する。
正しい理解:$E^{\circ\prime}$ が負に大きい物質に乗った電子ほどエネルギーが高い。Z-スキーム図では縦軸を「$E^{\circ\prime}$」にとり、上が負(電子のエネルギーが高い)、下が正(電子のエネルギーが低い)になる。電子は上から下に落ちるのが自発的。光は電子を下から上へ跳ね上げる。
具体例で確認しましょう。呼吸の電子伝達系では、$\mathrm{NADH}$($E^{\circ\prime} = -0.32$ V)から $\mathrm{O_2}$($E^{\circ\prime} = +0.82$ V)へ電子2個が移動します。
$$\Delta E^{\circ\prime} = (+0.82) - (-0.32) = +1.14 \text{ V}$$
$$\Delta G^{\circ\prime} = -2 \times 96{,}485 \times 1.14 = -220 \text{ kJ/mol}$$
この大きな負の $\Delta G$ が、呼吸の電子伝達系でプロトン汲み上げと ATP 合成を駆動するエネルギー源です。ここまでで、酸化還元電位と自由エネルギーの関係を理解しました。次に、この道具を使って光合成の電子伝達をZ-スキーム図として読み解いていきます。
Z-スキーム図は、縦軸に $E^{\circ\prime}$(上に行くほど負 = 電子のエネルギーが高い)、横軸に反応の進行をとった図です。この図を読むと、光合成の電子伝達がなぜ「Z」の字を描くかがわかります。以下に、Z-スキームの各段階を順を追って説明します。
電子の旅は水から始まります。水の $\mathrm{O_2}/\mathrm{H_2O}$ の $E^{\circ\prime}$ は $+0.82$ V です。つまり、水に結合している電子は非常にエネルギーが低い状態にあります。
PSII の反応中心 P680 が 680 nm の光子を吸収すると、1個の電子が励起されて P680* になります。このとき電子の $E^{\circ\prime}$ は約 $-0.8$ V に跳ね上がります。電位差にして約 $1.6$ V のジャンプです。これは 680 nm の光子1個のエネルギー(約 1.82 eV)のうち約 88% が電子のエネルギー上昇に使われたことを意味します。
光子1個のエネルギーは次の式で計算できます。
$$E = \frac{hc}{\lambda} = \frac{6.626 \times 10^{-34} \times 2.998 \times 10^{8}}{680 \times 10^{-9}} = 2.92 \times 10^{-19} \text{ J} \approx 1.82 \text{ eV}$$
ここで $h$ はプランク定数、$c$ は光速、$\lambda$ は波長、1 eV $= 1.602 \times 10^{-19}$ J です。
励起された電子は、P680* からフェオフィチン、プラストキノン $\mathrm{Q_A}$、$\mathrm{Q_B}$、シトクロム $b_6f$ 複合体、プラストシアニン(PC)を経て、PSI の P700 に到達します。この過程で電子の $E^{\circ\prime}$ は約 $-0.8$ V から約 $+0.45$ V まで「坂を下り」ます。
この下り坂の自由エネルギーは無駄になるのでしょうか。いいえ、この区間でシトクロム $b_6f$ 複合体が $\mathrm{H^+}$ をストロマ側からチラコイド内腔へ汲み上げます。つまり、電子が「坂を下る」エネルギーが $\mathrm{H^+}$ の濃度勾配の形成に使われ、最終的に ATP 合成を駆動します。これは B-4-3 で学んだプロトン駆動力そのものです。
電子が P680*($E^{\circ\prime} \approx -0.8$ V)から P700($E^{\circ\prime} \approx +0.45$ V)まで移動するときの自由エネルギー変化を計算します。
$$\Delta E^{\circ\prime} = (+0.45) - (-0.8) = +1.25 \text{ V}$$
$$\Delta G^{\circ\prime} = -1 \times 96{,}485 \times 1.25 = -121 \text{ kJ/mol}$$
電子1個あたり約 121 kJ/mol のエネルギーが放出されます。このエネルギーの一部がプロトン汲み上げに使われます。シトクロム $b_6f$ 複合体は、電子1個の移動につき $\mathrm{H^+}$ 約2個をチラコイド内腔に汲み上げるとされています。
P700 に到達した電子の $E^{\circ\prime}$ は約 $+0.45$ V です。ここで PSI が 700 nm の光子を吸収すると、電子は再び跳ね上がり、P700* の $E^{\circ\prime}$ は約 $-1.3$ V になります。電位差にして約 $1.75$ V のジャンプです。700 nm の光子のエネルギーは約 1.77 eV なので、ここでもエネルギーの大部分が電子の跳び上げに使われています。
P700* から飛び出した電子は、フェレドキシン(Fd, $E^{\circ\prime} \approx -0.43$ V)を経て、$\mathrm{NADP^+}$ 還元酵素(FNR)によって $\mathrm{NADP^+}$($E^{\circ\prime} = -0.32$ V)を還元し、$\mathrm{NADPH}$ を生成します。
$$\mathrm{NADP^+} + 2\mathrm{H^+} + 2e^- \longrightarrow \mathrm{NADPH} + \mathrm{H^+}$$
以上の4ステップを $E^{\circ\prime}$ の縦軸上に描くと、次のような軌跡になります。
この軌跡が横倒しの「Z」の字に見えることから、Z-スキーム(Z-scheme)と呼ばれます。1960年代にHillとBendallが提唱しました。
ここで冒頭の問い「なぜ光化学系は2つ必要か」に答えましょう。水から $\mathrm{NADP^+}$ まで電子を移すには、$E^{\circ\prime}$ を $+0.82$ V から $-0.32$ V まで、合計 $1.14$ V 持ち上げなければなりません。
680 nm の光子1個のエネルギーは約 1.82 eV ですから、原理的にはこの 1.14 V の電位差を一気に跳び越えることも不可能ではありません。しかし、実際にはエネルギー変換のたびに必ず熱的な損失が生じます。1回のジャンプで 1.14 V を跳び越えようとすると、余裕がほとんどなく、途中でプロトンを汲み上げてATPを作る余地がありません。
2段階に分けることで、各光化学系は約 1.6〜1.8 V の大きなジャンプを行い、電子が「坂を下る」区間で ATP 合成のためのプロトン駆動力を生み出す余裕が生まれます。つまり、2段階の光反応は、$\mathrm{NADPH}$ を作りながら同時に ATP も作るための熱力学的に合理的な設計なのです。
光合成が2つの光化学系を必要とする理由は、次の2つの目的を同時に達成するためです。(1) 水から電子を引き抜き、$\mathrm{NADP^+}$ を還元する($\Delta E^{\circ\prime} = 1.14$ V の上り坂を越える)。(2) 途中の「下り坂」でプロトンを汲み上げて ATP を合成する。1回の光反応で両方を行うにはエネルギーの余裕がなく、2回に分けることで熱力学的に実現可能になります。
Z-スキームの全体像が見えてきました。しかし、まだ一つ大きな謎が残っています。水は極めて安定な分子であり、$E^{\circ\prime} = +0.82$ V という非常に高い酸化還元電位を持ちます。PSII はいったいどうやってこの安定な分子から電子を引き抜いているのでしょうか。次のセクションで、その驚くべきメカニズムを見ていきます。
水の酸化反応は次の通りです。
$$2\mathrm{H_2O} \longrightarrow \mathrm{O_2} + 4\mathrm{H^+} + 4e^-$$
この反応には4個の電子の除去が必要です。$\mathrm{O_2}/\mathrm{H_2O}$ の $E^{\circ\prime} = +0.82$ V は生体分子の中で最も正に大きい値の一つであり、水から電子を引き抜くためには $+0.82$ V を超える酸化力が必要です。自然界でこれを達成できるのは、光エネルギーで駆動される PSII だけです。
P680 が光を吸収して P680* になった後、電子を放出した P680$^+$ の酸化還元電位は約 $+1.25$ V と見積もられています。これは $\mathrm{H_2O}$ の $+0.82$ V を大幅に上回り、水から電子を引き抜くのに十分な酸化力を持ちます。P680$^+$ は生物界最強の酸化剤と呼ばれます。
しかし、P680$^+$ が直接水から電子を1個ずつ引き抜くわけではありません。水の酸化には4電子が関わる複雑な反応であり、中間体としてラジカル種が生じうるため、制御されていないと細胞に重大なダメージを与えます。
この問題を解決するのが、PSII の酸素発生複合体(OEC: Oxygen-Evolving Complex)に含まれる $\mathrm{Mn_4CaO_5}$ クラスターです。4個のマンガン(Mn)イオンと1個のカルシウム(Ca)イオンが酸素原子で架橋された金属クラスターで、段階的に酸化状態を蓄積する能力を持ちます。
1970年、Pierre Kok は閃光実験によって、$\mathrm{O_2}$ が4回の閃光ごとに放出されることを発見しました。これは次のように解釈されます。$\mathrm{Mn_4CaO_5}$ クラスターには $\mathrm{S_0}, \mathrm{S_1}, \mathrm{S_2}, \mathrm{S_3}, \mathrm{S_4}$ の5つの酸化状態が存在し、光化学反応1回ごとに1段階ずつ酸化が進みます。
$$\mathrm{S_0} \xrightarrow{h\nu} \mathrm{S_1} \xrightarrow{h\nu} \mathrm{S_2} \xrightarrow{h\nu} \mathrm{S_3} \xrightarrow{h\nu} \mathrm{S_4} \xrightarrow{2\mathrm{H_2O}} \mathrm{S_0} + \mathrm{O_2} + 4\mathrm{H^+}$$
$\mathrm{S_4}$ は不安定な状態であり、速やかに水2分子を酸化して $\mathrm{O_2}$ と $4\mathrm{H^+}$ を放出し、$\mathrm{S_0}$ に戻ります。このサイクルをKok サイクル(S 状態サイクル)と呼びます。
Kok は暗所適応した葉緑体に短い閃光を繰り返し与え、$\mathrm{O_2}$ 放出量を閃光ごとに測定しました。その結果、$\mathrm{O_2}$ は1回目の閃光では出ず、3回目の閃光で最大量が放出され、その後は4回ごとに周期的に放出されることがわかりました。
なぜ3回目が最大なのでしょうか。暗所適応した葉緑体では大部分の OEC が $\mathrm{S_1}$ 状態にあるため、3回の閃光で $\mathrm{S_1} \to \mathrm{S_2} \to \mathrm{S_3} \to \mathrm{S_4}$ と進んで $\mathrm{O_2}$ が放出されます。その後は $\mathrm{S_0}$ から4回ごとに $\mathrm{S_4}$ に達するため、4閃光ごとの周期性が見られます。
この実験は、水の酸化が4段階の逐次的な電子引き抜きで進むことの直接的な証拠です。
2011年、岡山大学の沈建仁らは、PSII の結晶構造を 1.9 オングストロームの高分解能で解析し、$\mathrm{Mn_4CaO_5}$ クラスターの原子レベルの構造を世界で初めて明らかにしました(Nature, 2011)。4個の Mn イオンと1個の Ca イオンが「歪んだ椅子」型の構造を形成し、5個の酸素原子が架橋しています。この構造が水の酸化の触媒活性を理解する鍵となりました。この業績は光合成研究の歴史的なマイルストーンとされています。
水の酸化の $\Delta G^{\circ\prime}$ を計算してみましょう。$\mathrm{O_2}/\mathrm{H_2O}$ の $E^{\circ\prime} = +0.82$ V であり、P680$^+$ の $E^{\circ\prime} \approx +1.25$ V です。P680$^+$ が電子受容体(酸化剤)、$\mathrm{H_2O}$ が電子供与体(還元剤)として、電子1個あたりの $\Delta E^{\circ\prime}$ は次のようになります。
$$\Delta E^{\circ\prime} = E^{\circ\prime}_{\text{(acceptor)}} - E^{\circ\prime}_{\text{(donor)}} = (+1.25) - (+0.82) = +0.43 \text{ V}$$
4電子を移動させる反応全体の $\Delta G^{\circ\prime}$ は、
$$\Delta G^{\circ\prime} = -4 \times 96{,}485 \times 0.43 = -166 \text{ kJ/mol}$$
この計算は、P680$^+$ が水を酸化するのに十分な熱力学的駆動力を持つことを示しています。ただし、$\Delta G < 0$ は「反応が自発的に進む方向」を示すだけで、反応が速いとは限りません。$\mathrm{Mn_4CaO_5}$ クラスターの精巧な金属構造が、この反応の活性化エネルギーを下げる触媒として機能しています。
ここまでで、Z-スキームの全貌と水の酸化メカニズムを理解しました。次のセクションでは、光合成の量子収率を定量的に評価し、人工光合成への応用を概観します。
量子収率(quantum yield)とは、吸収した光子1個あたりに起こる光化学反応の回数です。Z-スキームから、光合成の量子収率を見積もることができます。
$\mathrm{O_2}$ 1分子を放出するには、水2分子から4個の電子を引き抜く必要があります。各電子は PSII と PSI で1回ずつ光を吸収するので、合計 $4 \times 2 = 8$ 個の光子が最低限必要です。したがって、$\mathrm{O_2}$ 放出の量子収率は理論上 $1/8 = 0.125$ です。
実測値は約 $0.1$ であり、理論値に近い非常に高い効率です。これは、Z-スキームの各ステップが熱力学的に緻密に設計されていることの証です。
光合成全体のエネルギー変換効率も計算できます。$\mathrm{CO_2}$ 1分子を $\mathrm{(CH_2O)}$(糖の単位)に固定するには、カルビン回路で 3 $\mathrm{ATP}$ と 2 $\mathrm{NADPH}$ が必要です。$\mathrm{NADPH}$ 1分子の生成に2個の光子、ATP 合成のためのプロトン勾配に追加の光子が必要で、$\mathrm{CO_2}$ 固定1回あたり合計約8〜10個の光子が消費されます。
680 nm の光子8個のエネルギー合計は約 $8 \times 176 = 1{,}408$ kJ/mol です(1 mol の光子のエネルギー $= N_A \cdot hc/\lambda = 176$ kJ/mol)。一方、$\mathrm{(CH_2O)}$ 1 mol の燃焼エネルギーは約 467 kJ/mol です。したがって、エネルギー変換効率は約 $467/1{,}408 \approx 33\%$ となります。
$\mathrm{CO_2}$ 固定1回あたりの光エネルギー入力と化学エネルギー出力:
$$\eta = \frac{\Delta G_{\text{(glucose)}}}{n_{\text{photon}} \times E_{\text{photon}}} \approx \frac{467 \text{ kJ/mol}}{8 \times 176 \text{ kJ/mol}} \approx 33\%$$
$\eta$:エネルギー変換効率。$n_{\text{photon}}$:$\mathrm{CO_2}$ 固定1回あたりに必要な光子数(最低8個)。$E_{\text{photon}}$:680 nm の光子1 mol のエネルギー(176 kJ/mol)。$\Delta G_{\text{(glucose)}}$:糖1 mol($\mathrm{CH_2O}$ 単位)の燃焼エネルギー(467 kJ/mol)。実際のフィールド条件では光の損失があり、全体効率は数%に低下します。
Z-スキームの設計原理は、人工光合成の研究に多大なインスピレーションを与えています。水を分解して $\mathrm{H_2}$(水素燃料)や $\mathrm{O_2}$ を生成する「人工光合成」では、自然の PSII が行う水の酸化と、PSI が行う還元反応を模倣する光触媒の開発が進められています。
自然の光合成が教えてくれる設計指針は明確です。(1) 2段階の光励起で十分なエネルギーを確保する。(2) 電子伝達の中間段階で有用なエネルギー(プロトン勾配 → ATP)を取り出す。(3) 水の酸化には4電子を段階的に蓄積する金属クラスター型の触媒が有効である。実際に、2段階の光触媒系(Z-スキーム型人工光合成)は活発に研究されています。
本文では非循環的電子伝達(水 → $\mathrm{NADP^+}$)を説明しましたが、PSI を出た電子がシトクロム $b_6f$ 複合体に戻る循環的電子伝達も存在します。このルートでは $\mathrm{NADPH}$ は生成されませんが、追加の $\mathrm{H^+}$ 汲み上げにより ATP だけが合成されます。カルビン回路は ATP と $\mathrm{NADPH}$ を $3:2$ の比で消費するため、ATP の不足分を循環的電子伝達で補うと考えられています。Z-スキーム図に循環的経路を加えると、PSI から $b_6f$ 複合体へ戻るループが描かれます。
以上で、Z-スキームの定量的理解とその応用を概観しました。次のセクションでは、本記事の内容が他のトピックとどのようにつながるかを整理します。
Z-スキームは、熱力学と光化学の結節点に位置します。以下のトピックと密接に関連しています。
それでは最後に、本記事の要点をまとめましょう。
Q1. 標準還元電位 $E^{\circ\prime}$ が $+0.82$ V の $\mathrm{O_2}/\mathrm{H_2O}$ と $-0.32$ V の $\mathrm{NAD^+}/\mathrm{NADH}$ について、電子はどちらの方向に自発的に流れますか。その理由を $\Delta G$ の符号と関連づけて説明してください。
Q2. Z-スキーム図で、光化学系IIと光化学系Iのそれぞれの光吸収は図上でどのように表されますか。また、2つの光化学系の間の電子伝達はどのように表されますか。
Q3. Kok の閃光実験で、暗所適応した葉緑体に閃光を与えると、$\mathrm{O_2}$ が最初に大量に放出されるのは何回目の閃光ですか。その理由を S 状態サイクルで説明してください。
Q4. $\mathrm{O_2}$ 1分子を放出するために、Z-スキームの理論上、最低何個の光子が必要ですか。その計算根拠を説明してください。
呼吸の電子伝達系では、$\mathrm{NADH}$($E^{\circ\prime} = -0.32$ V)から $\mathrm{O_2}$($E^{\circ\prime} = +0.82$ V)へ2個の電子が移動する。この反応の標準自由エネルギー変化 $\Delta G^{\circ\prime}$ を計算せよ。ファラデー定数は $F = 96{,}485$ J/(V$\cdot$mol) とする。
$$\Delta E^{\circ\prime} = (+0.82) - (-0.32) = +1.14 \text{ V}$$
$$\Delta G^{\circ\prime} = -nF\Delta E^{\circ\prime} = -2 \times 96{,}485 \times 1.14 = -220 \text{ kJ/mol}$$
$\Delta E^{\circ\prime}$ の計算では、電子受容体($\mathrm{O_2}$)の $E^{\circ\prime}$ から電子供与体($\mathrm{NADH}$)の $E^{\circ\prime}$ を引きます。$\Delta E^{\circ\prime} > 0$ なので $\Delta G^{\circ\prime} < 0$ となり、この反応が自発的であることを確認できます。この大きなエネルギーが複合体I、III、IVでの $\mathrm{H^+}$ 汲み上げに使われます。
680 nm の光子1個のエネルギーを eV 単位で求めよ。プランク定数 $h = 6.626 \times 10^{-34}$ J$\cdot$s、光速 $c = 2.998 \times 10^{8}$ m/s、$1$ eV $= 1.602 \times 10^{-19}$ J とする。
$$E = \frac{hc}{\lambda} = \frac{6.626 \times 10^{-34} \times 2.998 \times 10^{8}}{680 \times 10^{-9}} = 2.92 \times 10^{-19} \text{ J}$$
$$E = \frac{2.92 \times 10^{-19}}{1.602 \times 10^{-19}} = 1.82 \text{ eV}$$
$E = hc/\lambda$ は光子1個のエネルギーを波長から計算する基本公式です。680 nm(赤色光)の光子1個は約 1.82 eV のエネルギーを持ちます。PSIIではこのエネルギーで電子を約 1.6 V 分跳ね上げるため、エネルギー変換効率は $1.6/1.82 \approx 88\%$ と非常に高いことがわかります。
光合成が1つの光化学系だけで水から $\mathrm{NADP^+}$ まで電子を運ぶ「仮想的な1段階システム」を考える。$\mathrm{H_2O}$($E^{\circ\prime} = +0.82$ V)から $\mathrm{NADP^+}$($E^{\circ\prime} = -0.32$ V)への電位差は 1.14 V である。680 nm の光子(1.82 eV)を1個だけ使ってこの電位差を跳び越えられるとしたとき、余剰エネルギーは何 eV か。また、このシステムが Z-スキーム(2段階システム)に比べて不利な点を、ATP 合成の観点から 100 字以内で説明せよ。
余剰エネルギー:$1.82 - 1.14 = 0.68$ eV。
不利な点:1段階システムでは電子がPSII相当から直接 $\mathrm{NADP^+}$ に渡るため、中間の「坂を下る」区間がなく、プロトン汲み上げによる ATP 合成ができない。(82字)
0.68 eV の余剰エネルギーは熱として散逸します。Z-スキームでは2回の光吸収で合計約 3.6 eV を投入し、そのうち 1.14 eV が $\mathrm{H_2O} \to \mathrm{NADP^+}$ のエネルギー上昇に使われ、残りの約 2.4 eV のうちの一部がプロトン汲み上げ(→ ATP 合成)に有効利用されます。1段階システムでは余剰が 0.68 eV しかなく、ATP 合成のためのプロトン駆動力を生み出す余地がほとんどありません。
P680$^+$ の $E^{\circ\prime}$ は約 $+1.25$ V、$\mathrm{O_2}/\mathrm{H_2O}$ の $E^{\circ\prime}$ は $+0.82$ V である。P680$^+$ が水を酸化して $\mathrm{O_2}$ を発生させる反応($2\mathrm{H_2O} \to \mathrm{O_2} + 4\mathrm{H^+} + 4e^-$)の $\Delta G^{\circ\prime}$ を計算せよ。また、この値が負であることが水の酸化が起こるための必要条件であるが、十分条件でないのはなぜか、50 字以内で述べよ。
$$\Delta E^{\circ\prime} = (+1.25) - (+0.82) = +0.43 \text{ V}$$
$$\Delta G^{\circ\prime} = -4 \times 96{,}485 \times 0.43 = -166 \text{ kJ/mol}$$
十分条件でない理由:$\Delta G < 0$ は反応の方向を示すだけで、活性化エネルギーの壁が高ければ反応速度は極めて遅い。(48字)
P680$^+$ が電子受容体(酸化剤)、$\mathrm{H_2O}$ が電子供与体です。$n = 4$(4電子反応)として計算します。$\Delta G^{\circ\prime} = -166$ kJ/mol は熱力学的に十分な駆動力ですが、実際に反応を速く進行させるには $\mathrm{Mn_4CaO_5}$ クラスターという精巧な触媒が必要です。触媒は活性化エネルギーを下げることで反応速度を上げますが、$\Delta G$ そのものは変えません。
光合成の非循環的電子伝達では、$\mathrm{O_2}$ 1分子を放出するために 8 個の光子が必要である。680 nm の光子4個(PSII 用)と 700 nm の光子4個(PSI 用)が使われるとして、以下の問いに答えよ。
(a) 680 nm の光子4個と 700 nm の光子4個の合計エネルギーを kJ/mol 単位で求めよ。ただし、1 mol の 680 nm の光子のエネルギーを 176 kJ、1 mol の 700 nm の光子のエネルギーを 171 kJ とせよ。
(b) 非循環的電子伝達の正味の反応は $2\mathrm{H_2O} + 2\mathrm{NADP^+} \to \mathrm{O_2} + 2\mathrm{NADPH} + 2\mathrm{H^+}$ である。この反応の $\Delta G^{\circ\prime}$ を、$\mathrm{O_2}/\mathrm{H_2O}$ の $E^{\circ\prime} = +0.82$ V と $\mathrm{NADP^+}/\mathrm{NADPH}$ の $E^{\circ\prime} = -0.32$ V から計算せよ($n = 4$ とする)。
(c) (a) と (b) の結果から、光エネルギーのうち $\mathrm{NADPH}$ の化学エネルギーとして蓄えられる割合、および残りのエネルギーの行方について考察せよ。
(a) 合計エネルギー $= 4 \times 176 + 4 \times 171 = 704 + 684 = 1{,}388$ kJ/mol。
(b) $\mathrm{NADP^+}$($E^{\circ\prime} = -0.32$ V)が還元されるので、全体の反応では電子が $\mathrm{H_2O}$($E^{\circ\prime} = +0.82$ V)から $\mathrm{NADP^+}$($E^{\circ\prime} = -0.32$ V)へ移動する。
$$\Delta E^{\circ\prime} = (-0.32) - (+0.82) = -1.14 \text{ V}$$
$$\Delta G^{\circ\prime} = -4 \times 96{,}485 \times (-1.14) = +440 \text{ kJ/mol}$$
注意:この反応は $\Delta G^{\circ\prime} > 0$ であり、光エネルギーの入力なしには進みません。
(c) $\mathrm{NADPH}$ に蓄えられるエネルギーの割合 $= 440/1{,}388 \approx 31.7\%$。残りの約 68% のうち一部はプロトン汲み上げ($\to$ ATP 合成)に使われ、残りは熱として散逸します。
注意すべきは (b) の $\Delta E^{\circ\prime}$ の計算です。ここでは全体の反応($\mathrm{H_2O} \to \mathrm{NADP^+}$)を考えるので、電子受容体は $\mathrm{NADP^+}$($-0.32$ V)、電子供与体は $\mathrm{H_2O}$($+0.82$ V)です。$\Delta E^{\circ\prime} < 0$ となるため $\Delta G^{\circ\prime} > 0$(非自発的反応)であり、光エネルギーの入力が必須です。
残りの 68% のエネルギーのうち、PSII → PSI 間の下り坂でプロトン駆動力に変換される分が ATP として回収されます。ATP 1 mol の合成に約 30 kJ が必要とすると、8個の光子あたり約 2〜3 mol の ATP 合成が見込まれ、全体のエネルギー利用効率はさらに高くなります。